光の柱プロジェクト

光の柱プロジェクト・その23

今まで光の柱プロジェクトは、①鹿児島の霧島神宮・古宮址、②福岡の桜井大神宮、③宮崎の国見ヶ丘、④島根の神魂神社、⑤香川の田村神社、⑥三重の椿大神社、⑦和歌山の熊野本宮大社旧社地・大斎原の川原、⑧千葉の麻賀多神社、⑨栃木の滝尾神社で光の柱を建ててきました(過去の様子は、カテゴリー光の柱プロジェクトをご覧下さい)

今回向かった先は北海道、これが最終地点です。10番目に訪れたのは、札幌市の札幌村神社でした。しーちゃん、Oさん、私の3人で行きました。天気予報は雨、新千歳空港に着いた時は雨が降っていたけれど、きっと神社に向かう時は雨が上がるだろうと思っていたら、そうなりました。

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ここの担当は私でした。今まで訪れた場所はどこも車で移動したけれど、ここは地下鉄の駅から歩いて行ける街中の神社です。事前にネットで場所を調べ、地図をプリントアウトして持参していたのに、駅のコインロッカーに預けた鞄に入れてしまい、大雑把な記憶を頼りに探しました。

案の定、しばらく道に迷い、途中で人に道を聞き、ようやくたどり着きました(地下鉄の駅からすぐそばだったのに、反対方向を歩いていました)。私達が到着するのと入れ替わりに、それまで神社にいたらしい人達が乗った車がどこかへ去りました。その人達がいなくなるまで、私達は時間調整されていたのでしょう。

そのうちしーちゃんがブログで綴ると思いますが、私達が鳥居に到着すると、本殿前には様々な光の存在達がズラリと並び、私達を迎えてくれたそうです。それを見て、彼女は涙ぐんでいました。

境内に入ると、そこに植わっている木でカラス(3羽くらい?)が大きな声で鳴いていました。今まで各地の神社を訪れた際は、昆虫が私達を出迎えてくれました。寒い北海道では何が現れるのだろうと思ってましたが、カラスでした。霧島では鹿だったのが、ついこの間のような気がします。

本殿で挨拶をすると、早速光の柱を建てる場所を探しました。境内の中に土俵らしい場所があり、そちらへ歩きました。

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土俵のそばには、赤い実がたくさん落ちた木がありました。葉っぱの形が特徴的で、さっきネットで確認したらイチイの木らしいのがわかりました。東北地方や北海道では、神社によく植えられる木だそうです。

そのそばで静かに立ち、目を閉じると足がジンジンし、何か私の体を突き抜けるのを感じました。ここらだろうと思ったら、しーちゃんが「この木だね」と言ったので、木を囲みました。

近所の人らしい方が参拝していたので、その方がいなくなるのを確認すると、私は木の周りを歩きたくなりました。体が動くままに任せたら、独特のリズムでインディアンの行進みたいに木を一周しました。その様子を見た二人は笑っていて、最後は私もちょっと恥ずかしかったですけどsweat02それが終わると三人で木を囲み、そのまま木に抱きつきました。

 本当に、今までいろいろあったけれど、ようやくここまで来られました。
 ここまで導いて下さった光の存在のみなさま、本当にありがとうございました。
 心から感謝いたします。
 ここに建つ光の柱が、北の大地を強く明るく照らしますように。

そんなことを胸で強く思っていたら、上から力強いものがスコーーーーンと突き抜けるのを感じました。私はイチイの木にくっついていましたが、何かものすごい力で後ろから引っ張られるように感じ、「離れないようしがみつく」感覚に変わりました。

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光の柱を建てた後は、少しの時間だったけど、薄雲の向こうで太陽が輝きました。これもいつものサインでした。

しーちゃんによると、私達が訪れる前に光の世界では柱はすでに建っており、あとは私達が現地に赴いて建てるだけだったそうです。

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いよいよ最終地へ

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土曜日、最後の光の柱を建ててきました。遠くに富士山を眺め、向かった先はどこでしょう。

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その晩は炉端焼き屋で地元の美味しい料理を堪能しました。ホテルへの帰り道、観光地で有名な大通公園の美しいイルミネーションに誘われ、プラプラ歩いていると、

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ミュンヘン・クリスマス市が開催されていました。クリスマス飾りのお店がいっぱいあって、見るだけでとても楽しかったです。

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旅の様子は火曜以降に綴る予定です。

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その後

昨日の記事を読まれた何人かの方より、また新たに連絡頂いています。怒りはとうに通り越し、静かに驚きあきれています。

大したアドバイスはできませんが、もし同じように苦しい思いを1人で抱えている方がいらっしゃったら、遠慮なくご連絡下さい。秘密は厳守いたします。

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光の柱プロジェクト・その22

日曜も朝早くに起き、Oさんの運転で出発しました。目指す日光は今が紅葉シーズン。ETCの割引もあるし道路はかなり混むだろうと言われ、私は日付が変わるまでに帰れたらいいと覚悟していたのですが、朝早かったのが良かったようで、渋滞に巻き込まれることなく、スイスイ進みました。

朝早かったので途中サービスエリアに寄り、そこで朝食を取ることに。車から降りて初めて気がついたけど、しーちゃんは白とピンクの服を着ており、特にブラウスはかわいいフリルがいっぱいで、軽く驚きました。雰囲気は女神か天使みたいでした(彼女は天使のメッセージ本を書いており、それを読まれた方は彼女が優しい女性らしい人だと思うかもしれないけれど、実際の彼女は、そこらの男よりよっぽど強いです。スカート姿も初めて見ました)。見た目は女性らしいけど、彼女の強い思いを感じました。

結局、移動は3時間ほどで目指す場所に到着しました。そのしばらく前、しーちゃんとOさんは痛みで苦しそうにしていました。彼女たちは観察力や感覚が鋭く、良いものも察知するけれど、悪いものも敏感に反応してしまう。この時私は大丈夫だったけれど、油断は禁物。昨日受け取った剣は、胸からおへそにかけ、白く輝いてそこにあるのを感じたので、それに意識を集中しました。

私達はメッセージでよく「闇と戦うのではなく、かわしてゆきなさい」と言われていました。かわすと言うのは、闇が近づいてきても、それを闇だ闇だと意識しないこと。受け取った剣も、相手を切るのに振り回すのではなく、楯のように使う感じでした。

車を降りると、天気は快晴だったけど、山らしく空気は冷たかったです。日光はしーちゃんが担当で、事前にピンと来る場所を突き止めていて、そこを目指して移動しました。私は先頭で歩かなければいけない気がして、地面を踏みしめながらサッサと歩きました。勢い余って、しーちゃんがここだ!と言った場所を少し通り過ぎてしまいましたが。

場所は、御神木の三本杉のそばでした。

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案内板に「倒れた親木はそのままにしておく習わしで、今も横たわっている」とありますが、倒れていた杉には苔がびっしり生えており、

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緑色の龍の顔が横たわっているように見えて、驚きました。写真だと判別しにくいですが、わかるでしょうか。両目の上部分からは枝が生え、それが龍の角のように見えます。その、顔のすぐ前が、柱を建てる場所でした。古い時代に何か儀式のようなものが行われたような、石組みがありました。

朝早い時間にここを訪れる人はほとんどいなかったけど、なぜか若い女性が一人で近くを歩いていました。冷たい雰囲気を感じたので、じっと彼女が去るのを待ち、去ったのを確認できるとすぐ、私達は石組みのところで輪になりました。

昨日と同じく、精霊と共に柱を建てました。柱を建てる時、いつも私は目を閉じます。昨日と違って鳥の鳴き声は少なかったけれど、辺りは静かで朝日は神々しく、空気は冷たいけれど、胸は暖かかったです。私が以前に見ていた柱は細いイメージだったけど、実際は杉の木のようにドシーンとした雰囲気でした。

私はしーちゃんに呼ばれて目を開ける直前、しーちゃんの姿を見ていました。光と小鳥を相手に微笑んでいる図でした。

その後、柱の中に立ってみてと言われ、何か聞こえるかと言われたけれど、あまりよくわかりませんでした。ただ、手のひらの上の空間(縦30センチくらい)に、小さい龍が浮かんでるのを感じました。

どうして龍を感じたのかと思いましたが、その後Oさんが同じように立つと、山の上からOさんを目がけて、風がビュゥゥーーと吹いて来ました。彼女を守っていたのは、天狗。あぁそうか、私を守って下さった龍神さんがねぎらいに現れてくれたのだろうと理解しました。

あぁ、やったーーーーsign01ようやく、やり遂げたsign01今思えば、万歳三唱くらいしても良かったけれど、その時は3人とも、その場の雰囲気をかみしめ、味わっていました。

昔の人はここの杉が特別で、倒れた親木にも役割があるのを悟り、言い伝えたのだろう。それにしても、倒れた親木が龍の顔だとは。光の柱を建てる旅は、行ってみないと何が起きるかわからなかったけど、私はいつもワクワクし、驚きや感動の連続で、参加できることが本当に嬉しく楽しく幸せでした。いよいよ旅も最終章です。

それにしても、なぜ「日の光」と書く日光が、闇の巣窟になったのだろう。これからは、地名通りに輝いてゆきますように。これからずっと、その光は燦々と私達を照らすものでありますように。

その帰りに、日光東照宮に寄りました。私は初めてで嬉しかったのですが、観光地シーズンなのですごい人でした。写真だけ、少し載せます。

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↓龍が彫り物がびっしり並んでいます。

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帰り道もスイスイ進みました。私は東京駅まで送ってもらい、それが4時半くらいでした。この時、切符は買ってあったけれど指定は取っていなかったので、5分後に出るのぞみに乗ることにしました。

私は東京駅はまだまだ不慣れで、案内を目で追い、あわあわとエスカレーターでホームに上がりました。もうのぞみは停まっており、よく見ると、目の前に停まっていた車両が私の乗る車両でしたsign01最後の最後までスムーズな旅で、導きと計らいに深く感謝しました。

最後に。話は変わりますが、16日にしーちゃんが院長達のキャンセル料に触れた記事を綴りましたが、その後私は数人のお客さんからメールを頂きました。みな、院長と何かしら関わりのあった方でした。

それはどれも衝撃的なもので、院長からひどいことをされたのを伝える内容でした。ここに紹介することはできませんが、人として絶対に許せない内容で、誰にも言えずに1人で悶々と悩み続けていたのを、今回の記事を読み、勇気を出して私に連絡下さったのです。

私は今までそれらを全く知らないまま、クリニックのサイトやブログ管理をしてきたことが実に情けなく、腹立たしく、即、院長ブログをネットから削除しました。クリニックのサイトも、削除します。今はホームページ作成業者がたくさんいるので、新たに作らせたら良いことです。

一番腹立たしかったのは、おそらく院長は、彼女たちがそれを誰にも言い出せず、1人で抱え込むだろうことを見越していたこと。私には、ばれるとまずいことは、ひた隠しに隠していたのでしょう。強い光の人だと思っていたけれど、以前から闇が出たり入ったりしていたのだ。

純粋な気持ちでサイトとブログを立ち上げ、自分の周りで宣伝していたことが、全て踏みにじられた思いがし、今まで気づかなかった自分が本当に情けなく、彼女たちに申し訳なく、同じように泣き寝入りしている人が他にもいるのではないか等々、思いがあふれ、返信する時は涙が止まりませんでした。

私の作ったサイトを見て、会員さんになった方達が気になりますが、私は誰が会員であるか全員を把握していません。この文章を読まれても、院長を頼りにし、離れられない人もいると思います。その方々を無理に引き離そうとは思いません。ここに綴るのも今日だけにしますが、おそらく大体の方がこの文章に目を通すと思います。あとは、各自の判断と選択にお任せします。

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光の柱プロジェクト・その21

その後、私達は同じ市内にある成田山新勝寺を目指しました。不動明王さまから剣を受け取るためです。愛知に住んでいる私は、成田山と言うと犬山成田山を連想します。愛知県犬山市にある、成田山新勝寺の別院です。名古屋周辺の信徒が千葉まで赴くのは大変なため、戦後に開創されたものです。

犬山成田山には墓地がいくつかあり、寺本家の墓もそこにあります。導きに感謝します。千葉の成田山に行くと聞いた時、嬉しかったです。

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おごそかな気持ちも持ちつつ、午前に柱を建て終えてホッと一息、私は初めての土地を楽しみました。行って驚いたのは、周辺道路は土産物や地元名物の店でいっぱいだったことでした。昔から、参拝する人がとても多いためでしょう。

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お正月はものすごく混むと聞いて、お寺なのにどうして混むのだろう?と思いましたが、もしかしたら、神仏習合の名残かしらと思いました。(神仏習合:日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神がまつられたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(すいじやく)説が流行し、両部神道などが成立した。goo辞典より)

神仏習合。かつてはそれが当たり前だったのに、どうして明治時代に神と仏が分けられたのかと思い、ウィキペディアで調べたところ、神仏分離令が出て→神道国教・祭政一致の政策により、民間に神道強制が急激に行われ→多くの仏教施設や仏像(家の仏具までも)が壊され→僧侶の特権はことごとく奪われ、多くの僧侶が神職へ変わるなど、しばらくは大混乱が続いたそう。

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その後、第二次世界大戦が終わるまで日本は神の国とされ、神社では国の勝利が祈願された。まぁ・・ 戦の勝利は、戦国時代にも多くの武将から祈願されたけど、歴史のはざまで、神道も仏教も翻弄されたと言うのが事実なのだろう。

成田山も、廃仏毀釈の時は大変だったのでしょうか。

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↑池のほとりの数多くの石碑。これらはみな古そうでした。なんとなく、山岳宗教みたいな雰囲気がしますね。

その後私達は、御護摩の祈祷に参列しました(お不動さまをご本尊とし、その前に壇を設け、護摩木という特別な薪をたいて諸願の成就を祈る真言密教の修法)。誰でも参列できるそうですが、この日は天気が悪かったためか、あまり人がいませんでした。そのため、私達は祈祷するすぐそばに座ることができました。

位の高そうな高齢の僧侶が目の前の祭壇で護摩を焚き、その手元では若い僧侶が燃える炎の周りに手際よく薪を並べます。高齢僧侶の後ろでは、何人もの僧侶が横1列に並んで読経していました。独特の良い香りがして、読経を聞き、薪が燃える炎を見つめていると、目も耳も鼻も妙に落ち着くのですが、時折大太鼓が叩かれるとその音波は威力がものすごく、人体に響くのはもちろん、天蓋や壁一面に掛けられた飾りがビリビリ音を立てていました。

ミステリアス東洋、ジャパニーズカルチャーを体験するのに素晴らしいところだと思ったら、やはり外国人観光客がここを多く訪れるそうです。その後、私達は別の建物に移動して、剣を受け取りました。私には、白く輝く剣のように感じられました。

その帰り道。Oさんが空に虹がかかっているのに気づきました。

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私は慌てて携帯を取り出し、信号で停まった時に撮りました。夕暮れ時で、あまりきれいに撮れなかったけど、実物はもっと半円形がきれいにかかった大きな虹でした。

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光の柱プロジェクト・その20

土曜日、麻賀多神社に到着すると、雨はやんで曇り空でした。もう多分、雨は降らないだろうと見て、傘は持たずに境内に入りました。

そういえば、境内のどこで柱を建てるのか事前に聞いていなかったけれど、麻賀多神社を検索した時、きっと天之日津久神社のお社だろうと思っていたら、やはりそうでした。地元のしーちゃんとOさんが、真っすぐここを目指しました。

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お社周りの台のような場所に立つと、フワッと心地よい感じがしました。先ほどまで降っていた雨が清めとなってすがすがしかったし、その後しばらくここを訪れる人はいませんでした。

光の柱を建てる前、しーちゃんにビジョンが見えてくると、見たままを解説してくれます。今回の担当はOさんなので、彼女の感じるままに任せていると、ほどなくしーちゃんに見えてくるものがあり、指示されたように動きました。

私自身は肉眼の目では何も見えないですが、しーちゃんの解説を聞いていると時々、心の目で見えるような感覚になります。立体的な映像がそこにあるのが見えますが、その質感はなぜかいつもアニメ風です。なんでかなー。

柱を建てる時、自然界の精霊たちと共に建てると聞いて、すぐにワクワクしてきました。私は目を閉じ、辺りの様子をうかがいつつ、それを楽しみました。

風の音。ここは、お社の周りを囲むように背の高い木々があり、
木々の枝を揺らす音が聞こえる。
その風は、意思を持ってこちらに集まってくる。
鳥の声。周りにも木が多く、意外に多くの鳥が鳴いており、
風と共にメロディを奏でてくれている。

そして、なんとも言えない心地良さ、サーッとした感じ、何かエネルギー体が上に登るような感じがして、今までの光の柱と全く違う様相を肌で感じました。

その後目を開けると、肉眼では何も見えないけれど、虹色のキラキラした小さな光の粒が柱状になったものがそこに真っすぐあるのを感じました。

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その時私の立っている所から見た真上の様子です。その時の感じが、みなさんにも伝わりますように。無事に柱を建てられた後は、しばらく各自が思い思いにその場で過ごしました。

それにしても。光の存在と共に建てるとは。本当に、どうして今までそのことを思いつかなかったのだろう。しーちゃんはブログで「自分たちが建てるのだ、自分たちが龍神さまから言われて、建てているのだという傲慢さが、どこかにあったのだろう」と書いているけど、私はそこまで思い至らず、彼女の思いの深さに感心することしきりでした。

この旅に至るまで、私達は多くの光の存在達に助けられてきた。助けられるたび、どうしてそこまで助けてくれるのか、いつも畏れ多い気持ちを抱き、身が縮まる思いでした。本来、光の柱は、もっと有名な人が行うものじゃないか。私はそんな大した人じゃない。私なんかでいいのだろうかと、それまでも何度も思ったけれど、今回はなお一層、その思いを強くしていました。

そのうち頭に「古代、古代」という言葉が響いてきました。同時に、縄文時代らしい様子を感じました。人々が輪になって、両手を上げて、例えると盆踊りのように楽しく踊っているような。そうだ。きっと、古代の人々は、自然界の精霊たちの存在をいつもそばに感じ、必要があればごく自然に光の柱を建ててきたのじゃないか。

それが一体いつ頃からか、時の権力者によってそういうことが禁止されたのだろう。私達はやはり歴史のどこかで、大切なものをいくつも忘れてきたのだ。

ほどなくして、まぶしい太陽が見えてきました。光の柱が建った後のサイン。これも、霧島と同じでした。

その後、この神社の御神木の巨大杉の所へ歩きました。樹齢1400年近く、東日本一の大杉だそうです。本当に背が高く(約40m)、写真に入りきりませんでしたが、

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下の部分を接写すると、

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木の皮表面のデコボコ部分が、達磨の顔に見えるのです。しーちゃん達も、以前ここを訪れた時に人から教わったそうです。

その後しーちゃんから聞きましたが、ここで建てた光の柱は、この御神木の精霊が守って下さるそうです。

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光の柱プロジェクト・その19

今まで光の柱プロジェクトは、鹿児島の霧島神宮・古宮址、福岡の桜井大神宮、宮崎の国見ヶ丘、島根の神魂神社、香川の田村神社、三重の椿大神社、和歌山の熊野本宮大社旧社地・大斎原の川原で光の柱を建ててきました(過去の様子は、カテゴリー光の柱をご覧下さい)。西から東へと移動していますが、今回は千葉県成田市の麻賀多神社、栃木県日光市の滝尾神社を目指しました。

土曜の早朝、私は東京を目指し、東京駅からは千葉に向かう電車に乗り換えました。空はどんよりした曇り。その後の天気がどうなるか気になり、駅に停車する度に外の様子を観察しました。気がついたのは、屋根付き駅のホームがどこもしっかり濡れていたこと。屋根があるのに?もう雨は降っていない様子だけど、一体、どれだけ横殴りの雨が降ったのか。その後、合流したしーちゃんとOさんから、ちょっと前まで猛烈な雨が降っていたと聞きました。

その後、車で各地に移動しました。車内や室内にいる時は雨が降ったこともあったけど、外を歩くときは雨に降られず、助かりました。この感じ、霧島と同じでした。

私は少し先の未来に意識を合わせ、その日どんな様子になるか、大雑把に把握するのが得意です。光の柱を建てる旅は、早くに日取りを決めていたので、「いついつの旅がどんな感じになるか」を前から見ていました。

一番大変そうなのは日光だと感じ、一瞬ブルッとするけれど、輝く力強い柱を天から真っすぐ降ろし、あぁ建てられたと安堵している様子を見ていたので、大丈夫だという確信がありました。・・実際には光の柱は難なく建てられ、この旅に出る前の2週間が真に試練の日々でした。

私の家でも、電化製品に少し影響ありましたが、故障せずに済みました。私の体調は、しーちゃん達を心配させたくないと思い、あまり詳しく言わなかったけど、一度かなり動揺した時、ひどい胃痛がしました。私はすごく落ち込む時も、烈火のごとく怒る時も、胃が痛くなります。怒ると「腹が立つ」と言うけれど、本当に胃が縦につっぱる感じがします。

その時の胃痛は、今まで体験したことのない感じで、例えて言うと「小さい蛇をうっかり飲み込み、それが内側で大暴れしている感じ」でした。しーちゃんから言われた通り、石を身につけたら痛みも不安も徐々に治まりました。

ところで、その直前に私は伊勢神宮に行っており、その時伊勢で昔から伝わっている、萬金粒丸という胃腸薬を買っていました。今まで何度か伊勢を訪れているけど、今回初めて気が付いて、うちには胃腸薬がないからと何気なく買ったのですが、その後数日活躍することに。

もうひとつ、闇について。この旅に出掛ける直前、私はある本をアマゾンで注文しており、旅から帰るとそれが届いていました。アメリカインディアンの血を受け継ぐメアリー・サマーレインという女性が書いた「グレートスピリットからの警告」という本で、昨日私はこの本を読みました。

その女性は、インディアンの老女シャーマンの元で会得したことを記しています。師との問答、瞑想で見た様々なことは大変興味深く、グレートスピリットのこと、地球の古代と未来、光の訪問者、山が与える医薬、魂の目的、幻視などの他、「善と悪」についても語られており、彼女が見てきた「闇の世界」が実にリアルに書かれていました。面白かったのは、闇の世界で彼女は視覚だけでなく、嗅覚でも感知するものがあったことです。闇の世界はものすごい腐臭だったそう。妙に納得。

話がそれましたが、たまたま買った薬に助けられ、本で理解が深まり、本当に有難たかったです。旅に出る前、残った3人で結束を強め、ちょっとしたことでもすぐ連絡し、お互いを励まし合い、実に充実した時間を過ごし、無事に光の柱を建てられたのは、ヤミー攻撃で毎日鍛えられた賜物だったと思います。

ヤミーよ、今ではあなたにもありがとう。感謝しています shine
感謝してるけど、私は光に生きる。
今後はもう、二度と来なくて結構。
送ってくるのがいたら、その本人に倍返しで戻れよ。

このようにも思うのでございます。

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光の柱プロジェクト・続きを綴るその前に

土曜の朝は早起きをして、5時過ぎに私は家を出ました。天気予報通り、その時間帯はこちらはかなり強い雨が降っていました。天から地へ、真っすぐ降る雨でした。今は日の出が6時半くらいなので、辺りは真っ暗でした。

私はキャリーバッグを持ち上げ、折り畳み傘を開いて歩き始めました。本来キャリーバッグは体の横で引きながら歩くけれど、そうしたらキャリーバッグが濡れるし、荷物は軽かったので、持つことに。

玄関を出て、角を曲がったところで、ちょうど日の出の太陽と向き合う位置になりました。太陽はまだ出ていないけど、私は毎朝太陽に挨拶していることもあり、その時は歩きながら、

今日と明日と、光の柱を建てに参ります。どうぞ皆様、よろしくお願いしますsign01

と心の中で挨拶し、その思いを辺り一面に投げかけました。

すると、真っすぐ前から私の両肩を包み込むように、風がビュ~と吹き始めました。この頃私は、風とも仲良しです。自然界にいる精霊たちに挨拶などすると、時々こんなふうに、私を包み込むような風が吹いてくれます。そのまま30メートルくらい歩く間、吹き続いていました。

強い雨が大地にたたきつけ、辺りは真っ暗。人は誰も通らず、車も通らない。私が歩いていることに誰も気づいていないだろう。それで良い、今回も密やかに柱を建てるのだと思ったら、急に私は気分がハイテンションになりました shine

本来、こんな土砂降りの中、荷物を抱えて折り畳み傘で歩くことは、楽しくないもの。でも、その時は本当に楽しくなってきたのです。そのうち、傘ごと誰かが私を上から釣り上げている感じがして、私はつま先立ちで身軽に移動している気分になりました。

駅に到着するまで13分くらいです。切符売り場で傘を閉じると、キャリーバッグは雨に面した側がしっかり濡れたけど、中身は無事でした。私の服装は、靴がしっかり雨色に変わりました。靴を脱いでしぼったら大量の水滴が落ちたと思いますが、雪道用の靴だったので、靴下が濡れることもなかったです。

雨の中の移動も楽しいと思えるほど、私はこの土日を待ち焦がれていました。こんなに光の柱を建てるのが待ち遠しい気持ちは、今回が一番強かったです。

実際に光の柱を建てた時も、今までにないほどスムーズに事が進み、時間に無駄がなく、余った時間もあったほど。天候にも恵まれました。待ち焦がれた分、小さなことも本当に嬉しく、感謝の思いをたくさん投げかけ、心穏やかな二日間でした。

どうしてそんなに待ち焦がれたかと言うと、この土日を迎えるまでの日々が本当に大変だったからです。今はあまり詳しくは書かないですけど。

私は2003年から、こちら地元で行っている癒しの見本市イベントに関わっています。出展者で企画し、開催していますが、今までいろんなヒーラーやセラピストを見てきました。悪態ついて出展をキャンセルする人もいれば、社会人ならできて当然の約束を守れない人、あまりに常識的でないことが発覚した人にはこちらから出展を断わることもあり、いろんな人を観察する機会に恵まれました。

私はしーちゃんに会うまで、「闇に入られる」という表現を知らなかったけれど、今振り返れば、彼ら彼女らは闇に入られた人達でした。お金に執着があり、自分の能力を鼻にかけ、傲慢で、上から目線で人を見下す、約束を守らない、勝手な行動するなどなど。そんな人とのやりとりはしんどいけれど、お陰様で、人を観察するのに磨きがかかりました。驚きあきれた後はいつも、私はこうなりたくない、こうならないよう注意しようと、何度も肝に銘じていました。

今日のしーちゃんのブログに綴られたように、先月の柱を建てた後、龍の仲間からAさんが降ろされ、院長も旅に同行しないことになりました。その後彼らはしーちゃんにキャンセル料を請求したわけですが、なんでそんなことをしたんだろうと、少なからぬショックでした。光の柱に関し、院長に声をかけたのは私でしたので。

私個人はもちろん、相当多くの人達が、今まで院長に助けられてきた。そのことを否定するつもりはないし、感謝の思いも変わらずあります。それはそれで置いといて、キャンセル料をしーちゃんに請求するのはおかしい。私が知っている今までの院長なら、そんなもの請求する時点でAさんを叱りつけ、仲裁をしたと思う。その後音信が途絶えているのは、彼らに理由があるからでしょうが、光の柱はまだ続きがあり、私はそちらに集中するので、今は関わらないでおきます。

しーちゃんの記事文章に「光に沿って生きている人間の前では、ヤミーは必ずボロを出す。ヤミーに入られた人の、ちょっとした一言や、動作、行動を、必ずおかしいと感じる」とあるけれど、残った龍の仲間3人で今までのことを思い起こしたら、キャンセル料のもっと前からいろいろあったことに気がつきました。今まで気づかなかったのが、不思議なくらいでした。

話は戻って。土曜から1日以上経った時、私は前日の朝を思い出していました。そこでようやく、私は服がほとんど濡れていなかったことに気が付きました。濃い色の上着を着ており、水に濡れると濃く変色する布地だったけど、濡れていなかった。

今回残った龍の仲間3人は、数多くの光の存在に助けられ、土日を迎えていました。なので、私は真っ暗な早朝を歩きながら、目には見えなくても、光の存在達へ挨拶の言葉が出たのは、ごく自然な流れでしたが。

あの雨の中、私の両肩を包むように吹いた風は、雨が当たらないように吹いてくれたのだ。自然界の精霊たちよ、本当に、ありがとう。今頃になって私は、涙がゴーゴー流れてきました。困難を乗り越え、今回の光の柱を建てた体験は、素晴らしかったからです。

役目から降ろされたたくさんの元仲間たちは、なぜ自分が降ろされたのか理解できていない人達が少なくないだろうと見ています。龍神さまのメッセージを大げさに受け止めることなく、流し読みすることもなく、日々の生活の中でそれらを淡々とこなし、自分をなくし、次に建てる光の柱に集中することができなかった元仲間たちが、いつか私達の気持ちを理解できますように。そう祈っています。

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関東へ・・

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昨日の早朝、朝一番ののぞみに乗って東京へ向かい、そこから40分ほど快速電車に揺られ、3人になった龍の仲間と向かった先はどこでしょう。麻賀多と書いて、まかたと読みます。

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日にちが変わって今日は、朝から素晴らしい快晴でした。早朝に合流し、向かった先では、紅葉が始まっていました。

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私達が目指したのは、日光。東照宮からほど近い、日光二荒山(にっこうふたらさん)神社をさらに奥に行った別宮、滝尾(たきのお)神社です。

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旅の様子はまたつらつらと、綴ってゆきます。

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朝のひととき

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以前私は、毎朝ベランダで洗濯物を干す前に太陽に向かって立ち、手を合わせて太陽に挨拶すると、短い祈りを飛ばしていました。

個人の願いは勢い良く向こうへ飛ぶのを感じますが、私達に向けた祈りは見えない壁にふさがれるのを多く感じていました。しばらく祈るのをやめていましたが、光の柱を建てる旅に出るようになってから、また朝の祈りを行うように。光の柱に向けて、思いを送りたくなったためです。このところ、朝はやや肌寒くなり、太陽の光が暖かくありがたく感じる季節になりました。

 暖かな光 ありがとうございます
 今日も一日、地上に生きる私達がこの暖かな光を受け、
 内側から光り輝いて生きてゆきますように
 各地に建てた光の柱が、今日も光り輝いていますように

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