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2008年2月 4日 (月)

大人のアトピー

私は子供の頃は特にアレルギーはなかったですが、母親が鼻炎&肌がかぶれやすいので、そういう因子は受け継いだようです。社会人3年目の春に初めて花粉症になり、症状は1か月くらい続いて大変でした。

その後は、季節の変わり目に症状が出るようになりましたが、日常生活に支障が出るほどではないので、助かっています。私自身は花粉の飛散量よりも、その時自分が感じているストレスや体調に比例している気がします。

’96年当時、私は派遣で働いていました。その年の初めに、ある会社に派遣で働き始めましたが、人間関係も仕事内容も結構大変で。胃の痛い毎日を過ごしており(今ではほとんどない事ですが)、これではいけないと思い、8か月勤めたところでやめました。

肩の荷も降りホッとして、別の派遣会社に登録したら早速仕事の話を頂いて。契約も済ませ、新しい派遣先へ行く3日前に、妹が交通事故に遭って亡くなりました。

その後は、今振り返るとよく乗り越えてきたなぁと思うのですが、派遣会社には事情を話して出社日を1週間ずらしてもらいました。いざ出社してみたら、こんな偶然ってあるかしらと思いましたが、派遣された部署にはなんと、妹の同級生の吾朗くん(仮称)がいたのです。

その時吾朗くんは結婚して、会社のそばに住んでいました。子供の頃は近くに住んでいたので、私も幼なじみですが、私も吾朗くんもかつてはおとなしく、しゃべったことはほとんどなかったです。

後で知りましたが、吾朗くんはまもなく私が勤め先に来るのを知っていて、妹の葬式にも来ていたそうです。

派遣先では、化学実験がメインの仕事内容で、ある女性社員さんの実験を手伝いました。私の前に勤めていた派遣の女の子は、突然アトピーが顔にできてやめたそうで、その彼女の仕事内容をそのまま私が引き継ぎました。

私は新しい仕事に慣れるのにいっぱいいっぱいでした。もしもそこで、吾朗くんにいろいろ話しかけられたら、かなりしんどかったと思うのですが、吾朗くんは素晴らしい好青年に成長していました。

仕事内容に接点はなく、吾朗くんから私に話しかけることはほとんどありませんでした。子供の頃の呼び名のまま、私は吾朗くんに姓ではなく、「吾朗くん」と呼んでいましたが、それを他の社員さんがクスクス笑っても、彼は何も言わずにニコニコしている人でした。

だいぶ経って、私の気持ちも落ち着いた頃、私と吾朗くんだけが実験室にいた時、妹のことで初めて吾朗くんから話しかけてくれたことがありました。妹のことを吾朗くんと話したのは、それ一度きりでしたが、彼の優しさが本当にありがたかったです。

その派遣先はこちら近辺では名の知れた会社ですが、たまたま特殊な部署で、私も化学実験の手伝いというユニークな仕事内容でした。

社員さんはみな親切で、他にもいる派遣の女の子共々、良い待遇をしてもらいました。私は’98年1月に結婚することになりましたが、その前月末までそこで働きました。

人間関係は良かったですが、仕事内容は難しくないものの、扱う機器は多く、時々失敗をして、高価な実験器具を台無しにするなどして、落ち込むことがよくありました。

妹のことで精神的にまだ参っており、外で楽しく過ごしても、帰宅すれば悲しみにどっぷり浸かっている両親が真っ暗な様子で私を待っていて ^ ^; 、気が滅入ることばかりでした。

妹は細い交差点で事故に遭ったのですが、その後私は、道路を横断しようとすると、遠くから向かって来る車が怖くて、足がすくんで動けないことが続きました。このトラウマは今も、軽く残っています。

それでも私自身は、自分の結婚話が決まり、これから幸せになっていこうと、だんだん気持は前向きになって行きました。

結婚前にはマリッジブルーのようなことはなかったのですが、いろんなことが私の中で積み重なっていたのでしょう、結婚する3か月前に突然、顔中にひどい湿疹が出ました。

それまでも、花粉症の時期に湿疹ができることはあったので、私自身はひどいダメージはあまりなかったのですが。社員さんは、私の前にいた派遣の子と同様に私の顔に湿疹ができたので、私が実験で扱った試薬をリストアップし、うーんと考え込んでいました。

唯一気になったのが、牛乳から作られるラクトース(乳糖)と言われ、その時私は初めて病院でアレルギー検査をしてもらいましたが、スギ花粉に少し反応があっただけで、牛乳には反応なしでした。

今思うと、それがアトピー元年だったと思います。アトピーとは認めたくないですが、最近大人のアトピーについて解説された新聞記事を読み、私の症状と全く一緒だったので、ようやく認める気になりました。

私の場合は、精神的なストレスが引き金だったと思います。その時は薬ですぐに治まり、ウェディングドレスを着る時にはきれいな肌でした。

今の仕事を始めた2000年、私は生保の事務パートをしていました。しばらく二足のわらじで頑張っていたら、手の指に湿疹ができ始めました。

いわゆる主婦湿疹、手湿疹で、湿疹の薬は副腎皮質ホルモン由来のもので、使い続けるのは良くないと知っていたので、なるべく使いませんでした。

その後、パートの仕事はやめましたが、ビーズの大流行がやって来て、私は猛烈に忙しくなりました。やがて過労で体調もおかしくなると、また顔の湿疹が復活し、手湿疹もしばしばひどくなりました。

それ以上体に広がることはなかったですが、いくら好きなことを仕事にしても、やりすぎは良くないという警告でした。

体調を整えていったら、やがて湿疹は治まりました。かゆみがつらくて時々薬を塗っていた部分は、その後しばらく黄色いシミが残り、怖いなと思いました。

手湿疹は冬の空気が乾燥した時期は時々ひどくなりますが、ネットで竹酢液由来の保湿ローションを見つけ、使うようになったら、だいぶ落ち着きました。

アトピーは、はっきりした発症原因は特定されていません。私自身は、いろんな要素が複合した結果だと思います。

症状が出る時は、体や心に負担をかけている時なので、その負担をなくすのが治る近道だろうと思います(って、懲りてない私が偉そうに言えないですが ((+_+)) )。

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