光の柱プロジェクト・その16
その後の続きを綴ろうと思ったら、しーちゃんが昨日、残りを全部綴っていました 。ということで、詳しい続きは彼女のブログをご覧下さい。
前日の神魂神社で、途中院長が1人で別の場所を探したら見つかったのを参考に、田村神社で私は、ちょこちょこ歩きまわりました。
ここはどうだろう?と思った場所にみんなを案内しても、そこではありませんでしたが。
思いがけず神域に通じる道を見つけたこと、宮司さんが目を丸くして私達のところに来たこと、光の柱を建てる時はいつも昆虫や鳥や風がサインを送ってくれること、偶然叩かれた和太鼓の音もまるで演出の一つようだったことも。
一分ずれてたらどうなっていただろうと、思うことばかりです。
今まで、1泊しては2日で2ヶ所に光の柱を建てていますが、どの旅でも細かいエピソードがとても多いので、忘れないうちにブログに綴ろうとしても、1日経つ度にだいぶ忘れかかります。
1週間前の土曜に神魂神社に行ったことは、まだ二日前のことのようにも感じるし、1か月前のことのようにも感じます。
光の柱を建てる旅は、時間の感じ方がいつもユニークで、ゴムかガムみたいに、時間がニョーーーンと伸びるように感じる時もあれば。
私達が何かに集中すると、過ごした時間と空間がゴマみたいに小さな一粒に密集したように感じる時もあります。
しーちゃんも綴ってますが、田村神社で光の柱を建てた後のこと。私達はそれぞれ、携帯やデジカメを取り出し、写真を撮り始めました。
私はデジカメで写真を撮ろうと、レンズを神域に向けたのですが、デジカメ画面の真ん中に、ピンクがかった紫色の光が縦に入っているのが見えました。みんなも同じくそうでした。
自分の目で見ても見えないけれど、カメラのレンズを通すと、光の柱が建っているのが見える。これは、興味深いことでした。
そこで私は、両足を動かさずに、あちこち別の風景にカメラを向けてみました。右、左、上、いろいろ試したけれど、デジカメ画面には目で見た通りの風景が見えます。
でも、神域にレンズを向けると、やはり縦に光が入っているのが見えるのです。
帰りは解散する前に、高松駅でお茶することになりました。駅へ移動すると、真新しい駅ビル+商業施設+ホテル、という立派な建物がありました。
それを見た時、なぜか私は、10才頃に家族旅行した三重県の鳥羽をリアルに思い出しました。もう30年前の話です。
季節は同じく夏。どちらも海に近くて、雰囲気は似てるけど。30年前の昭和と今の平成では、流行りのファッションも違うし、建物の様子も全然違うのに。
目の前には真新しい高松の現在の様子が見えるのに、それにダブって、30年前の鳥羽の様子をリアルに感じるのです。
どうしてだろう?こういう体験は、今までありそうでなかったことなので、少し不思議でしたが。
多分・・ 四国には、本州と違う時間軸が空間に存在しており、そういう感知の仕方をしたのだろうと思いました。
四国と言えば、弘法大師ゆかりの八十八箇所の霊場を巡る四国遍路が有名です。私達の行った一宮寺でも、お遍路さんを見かけました。
お遍路さんは、祈りの旅をする人。そういう人達が、何百年も昔から四国中を歩いていたら、時空間に何かしら影響を与えることもあるのかもしれないですね。
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