光の柱プロジェクト・その20
土曜日、麻賀多神社に到着すると、雨はやんで曇り空でした。もう多分、雨は降らないだろうと見て、傘は持たずに境内に入りました。
そういえば、境内のどこで柱を建てるのか事前に聞いていなかったけれど、麻賀多神社を検索した時、きっと天之日津久神社のお社だろうと思っていたら、やはりそうでした。
地元のしーちゃんとOさんが、真っすぐここを目指しました。
お社周りの台のような場所に立つと、フワッと心地よい感じがしました。先ほどまで降っていた雨が清めとなってすがすがしかったし、その後しばらくここを訪れる人はいませんでした。
光の柱を建てる前、しーちゃんにビジョンが見えてくると、見たままを解説してくれます。
今回の担当はOさんなので、彼女の感じるままに任せていると、ほどなくしーちゃんに見えてくるものがあり、指示されたように動きました。
私自身は肉眼の目では何も見えないですが、しーちゃんの解説を聞いていると時々、心の目で見えるような感覚になります。
立体的な映像がそこにあるのが見えますが、その質感はなぜかいつもアニメ風です。なんでかなー。
柱を建てる時、自然界の精霊たちと共に建てると聞いて、すぐにワクワクしてきました。私は目を閉じ、辺りの様子をうかがいつつ、それを楽しみました。
風の音。
ここは、お社の周りを囲むように
背の高い木々があり、
木々の枝を揺らす音が聞こえる。
その風は、意思を持って
こちらに集まってくる。
鳥の声。
周りにも木が多く、
意外に多くの鳥が鳴いており、
風と共にメロディを奏でてくれている。
そして、なんとも言えない心地良さ、サーッとした感じ、何かエネルギー体が上に登るような感じがして、今までの光の柱と全く違う様相を肌で感じました。
その後目を開けると、肉眼では何も見えないけれど、虹色のキラキラした小さな光の粒が柱状になったものがそこに真っすぐあるのを感じました。
その時私の立っている所から見た真上の様子です。その時の感じが、みなさんにも伝わりますように。
無事に柱を建てられた後は、しばらく各自が思い思いにその場で過ごしました。
それにしても。光の存在と共に建てるとは。本当に、どうして今までそのことを思いつかなかったのだろう。
しーちゃんはブログで「自分たちが建てるのだ、自分たちが龍神さまから言われて、建てているのだという傲慢さが、どこかにあったのだろう」と書いているけど、私はそこまで思い至らず、彼女の思いの深さに感心することしきりでした。
この旅に至るまで、私達は多くの光の存在達に助けられてきた。助けられるたび、どうしてそこまで助けてくれるのか、いつも畏れ多い気持ちを抱き、身が縮まる思いでした。
本来、光の柱は、もっと有名な人が行うものじゃないか。私はそんな大した人じゃない。私なんかでいいのだろうかと、それまでも何度も思ったけれど、今回はなお一層、その思いを強くしていました。
そのうち頭に「古代、古代」という言葉が響いてきました。同時に、縄文時代らしい様子を感じました。
人々が輪になって、両手を上げて、例えると盆踊りのように楽しく踊っているような。
そうだ。きっと、古代の人々は、自然界の精霊たちの存在をいつもそばに感じ、必要があればごく自然に光の柱を建ててきたのじゃないか。
それが一体いつ頃からか、時の権力者によってそういうことが禁止されたのだろう。私達はやはり歴史のどこかで、大切なものをいくつも忘れてきたのだ。
ほどなくして、まぶしい太陽が見えてきました。光の柱が建った後のサイン。これも、霧島と同じでした。
その後、この神社の御神木の巨大杉の所へ歩きました。樹齢1400年近く、東日本一の大杉だそうです。本当に背が高く(約40m)、写真に入りきりませんでしたが、
下の部分を接写すると、
木の皮表面のデコボコ部分が、達磨の顔に見えるのです。しーちゃん達も、以前ここを訪れた時に人から教わったそうです。
その後しーちゃんから聞きましたが、ここで建てた光の柱は、この御神木の精霊が守って下さるそうです。
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