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2010年5月

2010年5月29日 (土)

Gallery Cafe Nuno

木曜にうちの近所のカフェに行き、ハナイロさんとモーニング(お茶代だけで、ミニサラダ、ワッフル、バケット、ロールケーキがついてました)を楽しんできました。

ハナイロさんからネックレスの注文を頂いていて、それができあがったので、渡しがてらのことでした。

2010052711240000_2

お店は、Gallery Cafe Nuno さん。

時々車で通る道に小さな看板が出ていて、前からとても気になっていたのですが。

道より少し奥まっているのでよく見えず、いつも通り過ぎてばかりだったので、ハナイロさんから誘われた時は嬉しかった です。

外観からも想像できると思いますが、とてもセンスの良いお店でした。お店の中も、食器も素敵でした。オーナーらしい方がこれまた、美人さんでした。

こんな素敵なお店が近くにあったなんて、ハナイロさん、ありがとう

ハナイロさんが自分のブログで、私の作ったネックレスを素敵に紹介して下さったので 、良かったらご覧下さい。→こちらです。

 

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2010年5月28日 (金)

私のトラウマはずし・番外編

昨日、しーちゃんが彼女のブログで私のトラウマはずしのことを綴りました。私の綴っていないことが主でしたが、ここで手のことをもう少し補足します。

もう10年前になりますが、私はアクセサリーを作るようになってから指先に主婦湿疹ができるようになり、やがて手の甲に広がりました。

駆け出しの頃はタイミング良くビーズの大流行があり、初心者に毛の生えたような私ですら過酷に忙しい毎日で、やがて体調も崩したほどでした。

あの当時、顔の輪郭と耳にはアトピーらしい湿疹もでき、顔も手も、忙しすぎるのがいけなかったと思っています。

その後、顔の湿疹はきれいに治りましたが、空気の乾燥する秋~春先は、手の甲に湿疹が出るようになりました。

湿度の高い季節は出ないです。外見的には主婦湿疹で、乾燥がとにかく良くないと言われる湿疹です。

これは毎年出るので、秋冬に私のビーズ教室に来られたことある方は、みなさんご存じです。薬は極力使わず、石油系原料を使っていないハンドクリームで対応していました。

光の柱を建てる旅では、10月には手の甲に湿疹が出ていて、それをしーちゃんも見ていました。

その後、実は12月の旅で、しーちゃんから手当て療法みたいなことをしてもらっていました。

彼女が私の手の甲に手をかざすと、大きい真珠をコロコロ転がしているイメージがしたそうで、その後「真珠エキスの入ったクリームを塗ると良いみたいよ」とアドバイスをもらいました。

真珠エキスね。その時私は、ミキモトならそういうクリームを扱ってるかもしれないと思いつきましたが、多分高価だろうと想像し、調べもしませんでした (^_^;) 。

その後、市販のハンドクリームで対応していましたが、あまり良くなりませんでした。

今年の2月だったか、しーちゃんと電話で話していた時、「そういえば最近、手はどうなの」と聞かれ、実はあまり状況は変わっていないと説明しました。

その時再度、やっぱりハクちゃんには真珠エキスの入ったクリームが良いと思うよと言われ、それでようやく、真珠エキス入りのハンドクリームをネットで探してみました。

買いやすい価格で、あるのかな?と思っていたのですが、思いがけず、すぐ見つかりました。

コーセーが出しているコエンリッチQ10ハンドクリーム(真珠エキス配合)で、ドラッグストアにありました。一般的なクリームより高いけど、乾燥肌用クリームよりはうんと安いです。

私は素直じゃないところもあるので 、しーちゃんのアドバイスでも、半信半疑でクリームを買い、塗り始めたのですが。

これがビックリしたことに、二日後には症状が改善し、やがて見た目には治ったようになりました。

その後ずっとクリームを欠かしていませんが、忙しくて睡眠時間が足りないとまた湿疹が出ます。

一番ピークでひどかった時の症状ほどではなく、規則正しい生活をすれば、また治ります。

念のため書いておきますが、全ての主婦湿疹にこのハンドクリームが有効だとは思いません。

主婦湿疹というのは、原因がまだはっきりわかっておらず、症状も人により様々です。私の湿疹には、真珠エキス入りクリームがよく効いたということです。

実は、こういう長い前置きもあってのことでした。

話は今月16日に戻りますが、ホテルの部屋でしーちゃんと瞑想などしていた時のことです。

何の話からだったか、お互いの手のひらを合わせ、まず、しーちゃんが私にエネルギーを送ることにしました。

じんわり、優しいエネルギーが私に伝わり、とても気持ち良くて、私は内心(もっとちょうだい~)と思ったほどでした。

「じゃ、今度はハクちゃんやってみて」と言われ、エネルギーを送ってみました。

こんなふうに、手のひらを通して人に送るのは今まで経験がなかったので、しーちゃんがどう感じるのかとても興味がありました。

が、彼女はすぐ、少しハッとした様子で「もういいよ」と止めました。私から多くのエネルギーが一気に来るのを感じ、私を疲れさせてしまうとわかったからだそうです。

そう言われて、私は初めてハッとしました。私はいつも、こんな調子でアクセサリーを作っていると。

それはすぐ、彼女に話したのですが、アクセサリー制作だけでなく、人と会話する時も何かしら発散している自覚はある。

メールやりとりもサイト更新も、私はエネルギーを発散し、終わった後は消耗して疲れてしまう。

そこで彼女は、私の手の乾燥の原因が前世にあると見抜いたのです。この解説はストーーーンと私の胸に響き、そうだろうなのだろうなと思いました。

「もうこれからは、今までみたいになんでも頑張らなくて良いのだよ」と言われ、それも腑に落ちたのですが。

日常生活に戻ると、やはりまだ、なんでも頑張ろうとしてしまいがちです。

このやり方で長いことやってきたので、仕方ないですが、エネルギー注ぎ込もうとする自分に気づくと、あぁまたやりすぎたと、自分に突っ込む日々が続いています。

 

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2010年5月25日 (火)

今週もきっとあっという間に

先週のブログ記事は時空を飛びっぱなしでしたが。

現実の私は、ブログを綴ってはちょこちょこ仕事をし、朝は窓を拭いたりカーテンを洗濯したりと、半年ごとの掃除等を楽しんでいました。

この春は、天気予報をよく見ています。毎日のように寒暖の差があるのと、雨が多いからです。それを見て、明日着る服を決めたり、寝具や洗濯に思いを巡らしています。

日曜は学生時代の友人達と集結、雨の中を西三河の友達の家へドライブしました。結構な雨でしたが、道路が空いてて良かったです。

昨日は瑞穂区の 0xCAFE で、今日は緑区鳴海のエコショップで教室でした。今までいろんな所で教室をやってきましたが、飲食店での教室は 0xCAFE が初めてだったと今日気がつきました。

どちらも、普段通りの楽しいひととき でした。

今週もきっとあっという間に過ぎ、5月もあっという間に終わりそう です。

2010年5月22日 (土)

私のトラウマはずし・その4

過去世の様子を見るのは、私の頭の中にスクリーンがあり、そこで映像を見る感じです。

ちょっとした未来を先取りして見る時も同じように映像が見えますが、姿形あるものが目の前で動き回るのを見るのは、初めてでした。

初めてでしたけど、私の場合は、その20センチ程の小人が3Dアニメのように見えたのと、どこか実体感がなく、体重があるように見えなかったので、浮かれることも怖くもなく、客観的に見ていました。

しーちゃん曰く、この小人は、今まで私がフタをしていたのをやっとはずしたので、その喜びがはじけているのだろうと。

そのうちに、彼女にもこの小人が走り回る様子が見えてきました。

その小人達に意識を合わせてみたら、(私自身でもあり、私を守るものでもある)そういう思いがフッと湧き上がりました。

わかるようなわからない感じ?ですけど、必要があればそのうちわかるでしょう。

しばらく小人達は走り回っていたけれど、しーちゃんと私が話し始めたら、そのうち気配を感じなくなりました。

その後もしーちゃんといろいろ見たり、瞑想しましたけど、とりあえず、私のトラウマはこんなふうにして解消した次第です。

  *     *     *

トラウマはずしは、身体に何かしら影響があったかもしれません。

今週私は、下るほどではないもののお腹がややゆるく、トイレに行く回数が普段より多かったです。

大掃除でもして、不要なものが外に出ているふう。浄化の一つの形でしょう。

2008年に私はアンダラでたくさんアクセサリーを作りましたが、アンダラを扱い始めた時も同じような状態になりました。

去年は柱を建てる旅に出掛けましたが、この期間中もよくお腹がスッキリしました。

今回、しーちゃんは随時アドバイスや指摘をしつつ、次にどうすれば良いかを導いてくれました。

それらがみな、腑に落ち、時にハッとする内容なので、「しーちゃんって、すごいねぇ」と素直にそう言うと、彼女は

「私がすごいのではないよ。次はこうすれば良いかなと、ふと思ったことをそのように実行しているだけ。光の存在がいつもそばにいて、次にどうすれば良いのか教わってるのだと思うよ」と。

彼女はブログで綴っているように、これから各地で光の会を行っていきますが、そういう場でもいつも光と共にあるでしょう。

それで、彼女と一緒にいる時に、六次元にも磁場にも行くことはできたのですが。

彼女の着ている服はわかったり、磁場ではリボンをつけたタコさんに案内してもらったけれど、細かい部分はあまりよくわかりませんでした。

慣れれば、もう少しわかるようになるのかなと思いましたが、彼女の話では、多次元だから感じ方が違うこともあるだろうと。

蔵之介は相変わらず、私にはっきり見えるのは顔くらいで、その言葉は頭の中に降るように聞こえます。

1週間経ってみて、見えるとか見えないとかは副次的なもので、気にするものでもないと思えてきました。

それよりも。歩きながら見つけた草花や樹木に、心の中で(こんにちは)と挨拶したら、そこにうまい具合に風が吹いてきて、葉っぱでサヤサヤ私にお辞儀しているように見えたり。

鳥の声に耳をすませ、その鳥がどんなふうに風に乗って移動しているか思いを寄せ、警戒した声なのか仲間同士の挨拶なのか注意して聞くとか。

そういう私の日常での小さな1コマ1コマを楽しみつつ、感じるものをオープンにしていったら良いのだと、改めてそう思い至りました。

空間を見れば細かい点々がうごめくのが見え、近頃はまたその動きがより身近でリアルになっていたり。

例えばこうしてパソコンに向かっている時でも、画面すぐそばで時々キラッと光る何かが見える。これだけでも、全く見えない人からうらやましがられることもあるだろう。

寒風吹きすさぶ中で滝に打たれる修行をしなくても、時に悩み、つらさを辛抱し、当たって砕けて落ち込んでも現実から逃げず、できないものに努力を重ね。

コンプレックスもいつしか個性のひとつになり、いらないものはどんどん手放したら、いつのまにか見えるものが増えてたというのが、私の実感です。

これからも、私は私らしくあれば良い。より強く、そう思えるようになった気がしますが、これがトラウマはずしの一番の収穫なのかな、と思います。

 

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2010年5月20日 (木)

夕暮れ時の虹

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「トラウマはずし」あと少し続きがありますが、今日は休憩して。
近頃は、日が暮れるのもだいぶ遅くなりましたね。今日はこちらは、晴れたり曇ったり、いまひとつスッキリしない天気でした。

まもなく日が暮れる、夜7時前のこと。外から赤い明るさを感じ、稀にこういうことってあるなと思いながらベランダに出たら、縦に虹が出ていました。

急いでカメラを取って来ましたが、わかるでしょうか。画面中央にちょろっと写っています。

2010年5月19日 (水)

私のトラウマはずし・その3

この過去世をざっと見て、私の胸に一番湧き上がったのは、当時、民衆が望むことと私にできることは違っていた。

しかし、立場上それを言うことはできず、私にとって無意味な儀式をやり続けなければいけなかった。それが、つらかった。

私はいつも孤独だった。その思いは誰にも、身近な人にも言うことはなかった、ということでした。

「なるほどね。そのおじさんのつらかった思いが今も、ハクちゃんの中に残っているのだろうね。じゃ、その時は本当に大変だったねと、おじさんを抱きしめてみて」

しーちゃんからそう言われたと思いますが、私自身は、そのおじさんを抱きしめる のに少しビックリしつつも、イメージの中でおじさんをギュッと抱きしめてみました。

そうしたら、なんと。おじさんが、私の腕の中で号泣したのです。

イメージの中だけど、大声でウォーーーーッ と泣いているのがわかりました。号泣するとは、私自身が予想外でした。

そして、おじさんの胸にあったつらさ、悲しみが私の胸にじんわり響き、私も自然に涙がこみ上げました。

(とてもつらかった。でも、誰にも言えなかったし、その感情を一切出せなかった)おじさんのその思いが、ダイレクトに響いてきました。

おじさん、つらかったんだねぇと思いを受け止めて間もなく、ふと気付くと、恰幅が良かったはずのおじさんがすっかりしおれ、痩せこけて干乾びた干物みたいになっていたのです

これにはビックリ、顔なんてまるで別人でした。そして、流れた涙で化粧がはげたように、目の下はあごまで白くなってました。

その後まもなく、上から二人(姿はよく見えない、光が2つというのが正確なところ)が降りてきて、それぞれおじさんの両脇を抱え、上にあがっていくのが見えました。おぉ~・・・

   *   *   *

ここまで20分か30分かと思っていたら、なんと1時間半もかかっていて、またビックリでした。

今はスラスラ綴っていますが、ホテルのベッドの上では、フタをした記憶庫から断片を引っ張り出す感じで、単語しか出なかったり。

「多分、こうだと思う」と説明するのに、えらく時間がかかったのでしょう(私は、その自覚もなかったですが)。

しーちゃん曰く、

「おじさんは雨乞いの祈りが、ある時偶然うまくできてしまって、その後民衆から頼られるようになったのだろうね。

ハクちゃんは他の能力があって、本当はそれはできなかったけど、請われるまま儀式をするようになったのだろう。

その贖罪(しょくざい。変換したら、私も読めない (^_^;) 。金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと)の思いが今のハクちゃんに強く残っていて、ハクちゃんが無理してでも頑張ることにつながっていたのだろうね。

もう、ハクちゃんはそうしなくて良いし、これからは『私、こんなことまでやってたんだ』ということに、時間をかけていろいろ気づくと思う。

最後に痩せこけた姿は、本来のおじさんの姿だと思うよ」そんなふうに、彼女は解説してくれました。

私は、自分や人の過去世が断片的に見えたり、ちょっとした未来予知ができたり等々、いろんなことができるのに、それが人に知られるのは、実は怖かったのです。

でも。それを表現したい思いも強かったし、人からの勧めもあったので、サイトやブログでようやくここまで発信できるようになった、というふうです。

去年は、光の柱を建てる旅もドキドキしながら綴っていました。

今まで自分の中で複雑になっていた思いが、根元の原因がわかってスッキリしたわけですが、その直後、また予想外なことが起きました。

私のお腹から、白い小人(身長20センチくらいなので、小人と言えないかも。「忍者ハットリくん」を真っ白にしたような、ダイキンのゆるキャラ「ぴちょんくん」のような感じ)がたくさん出てきて、部屋中を駆け回るのが見えたのです。

 

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2010年5月18日 (火)

私のトラウマはずし・その2

話は変わって先月末。

作品展は終わったもののまだ慌ただしく、あることが気になってずっと引きずり、そのことをまた考え始めた夜のこと。

突然、肩がズシーーーッと重くなり、動揺する気持ちが急にわき上がって落ち着かなくなりました。

去年の秋、日光に行く前にものすごく動揺したけど、その時ほどではないものの、同じようにとても嫌な感じ。

多分ヤミーだろうと察しがつき、私の肩に何か見えるかと、しーちゃんの携帯にメールしました。

彼女はメールを読んで私に意識を合わせると、何やらすごいものが私の肩を覆っているのでビックリし、すぐに光を送るイメージをしたところ、ヤミーは祓われ、私の肩はスーーーッとし、気持ちも落ち着きました。

あとで電話で詳しく説明すると、珍しく叱られました。

体がすごく疲れている時に、普段なら全く気にならないことが気になって、隙を狙われたんだよと。

「ハクちゃん、人の倍は働いているよね。体をいたわっていないのは、自分を大切にしていないことだよ」

彼女は、半ばあきれていました。私は耳が痛かったけど、全くその通りなので、小さくなって聞いていました。

そう。私はなんでも一生懸命にやり、忙しくてもさらに忙しくして頑張ってしまう。

「多分そのことも、ブロックになってる過去世と関係あると思うよ」そう言われると、そうなんだろうなぁと思えました。

   *   *   *

東京駅では、初歩的な確認もれで、私は違う場所で待っていました(ここまで来て、私の自我は抵抗していたのでしょう (-_-;) )。

お昼ご飯を食べ、しばらく話した後、ホテルに移動し早めにチェックインしました。

早速私はベッドに仰向けになって目を閉じ、しーちゃんは私の右側にイスを持ってきて座りました。彼女の言葉の誘導に従い、見えてきたものを語り始めました。

いつかのマヤ時代。真っ青な広い空を、私は高い建物の上から仰ぎ見ている。

私は50代くらいの男性。肌は浅黒く、顔は深いしわがいくつもある。頭には羽根飾り、上半身は裸、腰巻きのようなものには装身具がついているよう。

建物の下には、多くの民衆がいる。私は高い身分だと思うが、浮かない顔をしている。

あとは、青い空しか見えない。私は、青い空を見ている時だけホッとしている。孤独。私の周りに人はいるかもしれないが、今は見えない。

私の語りが途切れると、「別の場面に行って」と言われるので、なんとか別の場面を見ようと集中しました。

別の場面。私はもっと若い頃の青年。表情は固く、目はキッと鋭い。山の中腹のようなところで、薬草を探している。晴天。

体を良くする薬草の知識もあるが、体をしびれさせ死に至らすような薬草の知識も、ある。

別の場面。

地下に通ずる神殿のような建物に入っていく。中では、宗教儀式を執り行っている(ブログで綴るのは省略)。

現代から見ればおぞましいことだが、当時はそれが当たり前だった。私はいろいろ指示をしている。

別の場面。

女性がしゃがんで泣いているのが見える。おそらく、宗教儀式で夫を亡くした女性。

多分、その時初めて私は、宗教儀式に対してささやかな疑問がわいた様子。女性に何と言葉をかけて良いかわからない。

別の場面。

私は多くの民衆から何か懇願されている。しかし、私の能力では自分が対応できないのを知っている。

私は別の才能があるが、それはそこで発揮できないもの。作物が豊かに実るための、雨を降らして欲しいと言われているのか。

私は、自分ではどうしようもないのだが、雨乞い儀式のようなことをしているらしい。

私が亡くなる場面。私は横たわっており、私の左側に立っている息子夫婦にあとを頼むと言っている。

そんな話、こんな話が、見えました。

 

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2010年5月17日 (月)

私のトラウマはずし・その1

土日は有意義な二日間で、しーちゃんがずっとしゃべりっぱなしでした。

東京で合流し、私のトラウマはずしを手伝ってもらうのが目的でしたが、それ以外にも興味深いことを体験しつつ、しーちゃんの話すことを聞きながら、光の存在達の薫陶を受けていたと思います。

40代女性のごく普通の日常のあれこれを、話せたのも良かったです。

しーちゃんは彼女のブログで私達がツインソウルだとすでに綴っており、確かに二人で共有する独特の思いや感覚は数多くあること、よく似た面もあれば、バランスを取るかのように正反対な面もあり、それはお互い認め合っているのですが。

しーちゃんは光の柱の旅をしながら能力をさらに開花させ、読み応えあるブログを綴っているのに対し、私は蔵之介の顔を見て会話はできるようになったけど。

彼女のように六次元や磁場には行けないし、立体的な蔵之介は見えないしで、正直、うらやましいなと思うことも度々でした。

前から私は、何か自分にふたをして、本来発揮できるものにブロックをしているようだと感じていました。

龍神様からは、私達は双子の魂なので同じく能力を発揮できる、白龍もそれをもっと使っていきなさいと有難い言葉を頂いており、確かに光の柱を建てた後で鋭くなった感覚もあるけれど。

しーちゃんとは差があるのを感じていました。しーちゃんは私の過去世に起因しているのを見てくれ、

「詳しくは言わないけど、マヤ時代の過去世にブロックの原因があると思う」と彼女から聞くと、突き抜けるような真っ青な広い空が見えてきました。

でも、それだけ。それ以上見るのは、私の中で誰かが執拗に抵抗している感じ。

しかしながら、しーちゃん曰く「マヤ時代を思い出せば、六次元にも行けるようになるよ」と。

蔵之介との会話ももっとクリアーにできる気がするのに、何かフィルターがかかっている気がする。

4月には新ブログ「蔵之介通信」を立ち上げるつもりが、私の作品展が予想以上に慌ただしく、結局できないでいたけど、可能なら立ち上げる前にスッキリしたい。

しーちゃんは、どうやって私のブロックをはずせるか龍神様に聞いていました。

それによると、電話では難しく、どこかで会うのが良いだろうと。そこで、初めはお互いの中間の場所で富士山辺りを考えたり、他にも候補はあったけれど。

交通の便が悪かったり、あるアーチストがコンサートを行うため付近の宿泊施設の予約が全く取れなかったりで、結局東京になりました。

私は緑の多い所が希望だったけど、つてを頼って紹介してもらったところが、緑豊かな皇居そばの静かなホテルで、東京にいるのが嘘みたいでした。

 

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2010年5月16日 (日)

東京へ

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昨日と今日、東京に行ってしーちゃんと会ってきました。目的は、「私のトラウマはずし」です。

ヒプノセラピーもどきをやってもらい、今の私に大いに影響を与えている過去世を自分で思い出し、過去世の自分が天に昇って行くのを見届けました。

その他、いろいろ興味深かったので、明日以降に綴ります。

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写真は、皇居東御苑・庭園で見たシラン(ランの仲間、紫蘭)。両日とも好天に恵まれました

 

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2010年5月12日 (水)

作品展報告ページ

私のサイト内に、作品展報告ページを作りました。お時間あったら、クリックしてご覧下さい

これをご覧頂くと、0xCAFEの内部の様子がわかります。お店にいらしたみなさんが皆、とても素敵と言われたのが伝わるだろうと思います。

写真もとっても素敵ですが、撮影したのは私ではなく、ギャラリー部長こと水谷一子さんです(©0xCAFE と入っているものがそうです)

私は、接写ならなんとかできますが、その他の撮影はダメです 。カメラが利口なので、そこそこ撮れますが、やっぱりそこそこ程度です。

時間があったら、写真の教室に通いたいです。

振り返ってみると、まぁ本当に・・ 私には、できすぎな作品展でした。

Cさんとタッグを組み、私に作品展をやってみたらとやや強引に誘うことから始まり。

ディスプレイの作戦会議を何度も繰り返し(ランチしておしゃべりして、楽しんでた時間も長かったですが☆)。

見えるところでも見えないところでも、本当にお世話になりました。

この場を借りて、改めてお礼申し上げます。一子さん、本当にありがとうございました

私の次なる野望は、6月に開催予定の一子さん個展の宣伝です。

今回の作品展の様子を撮影し、CD-Rに焼いたものを私にほいっと下さったのですが、その中に一子さんのワイヤーアートが写ったものがいくつかあったので、ここに紹介します。

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Hajime2

Hajime3

 

Hajime4_2

これを見てわかるように、ワイヤー作品ひとつひとつにスポットライトが当てられ、影が壁に映っています(パソコンの方は、写真の上でクリックすると大きい写真で見られます)。

不思議なことに、ワイヤー人物の表情と、影に映った表情が違うのです。

実物は、とても生き生きしています。 広くて白い壁、スポットライトがあって楽しめる、ワイヤーアートの世界です。

個展の前には、また宣伝しようと思っています。興味の湧いた方は是非、0xCAFEにいらして下さいね\(^o^)/

 

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2010年5月11日 (火)

ようやく休憩

先月25日に作品展が終わった後、ビーズ教室その他でドタバタし、GWは少しゆっくりし、9日に多治見で初めてのビーズ教室を終えると、ようやく一息つけました。

あぁ・・ 思い返せば3月あたまから、なんだか慌ただしかったです。自分で招いたことですが。

GWもよく寝ましたが、昨日と今日は昼間もよく眠りました。いつでもどこでも眠れる、そんな勢いでした。

今日は作品展の写真をA4用紙に印刷してファイルにまとめ、私のHPに載せる写真も整理しました。

明日には、HPにアップロードする予定です。今週は、ゆっくりやります。

2010年5月 7日 (金)

グリーンアンダラの革ひもネックレス

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きれいなグリーンアンダラにワイヤーを巻いて、革ひもを通しました。

グリーンアンダラにはいつも金色ワイヤーを巻きたくなり、革ひもはこげ茶色を勧めたくなります。実際、そう勧めることが多いです

 

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天然石ビーズ教室ご案内

定員4~5人の小さな天然石ビーズ教室では、好みの石ビーズを選び、作りたいものを作って頂きます。

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写真は、今月から教室を開催する0xCAFE内の様子。ここで教室を行います(水谷一子さん撮影)。

0xCAFEでは、飲み物付きです。教室終了後に、ホッと一息つけます。

①瑞穂区瑞穂通の0xCAFEの教室は、今月24日(月)に行います。ご参加お待ちしています。

②緑区鳴海町のeco shop 和は、25日(火)です。ご参加お待ちしています。

③岐阜県多治見市のたじみ創造館3階・ギャラリーヴォイスは、6月13日(日)です。ご参加お待ちしています。

④尾張旭市(私の仕事部屋)は、今月ほぼ定員です。

⑤金山総合駅そばのイピアルは、6月に行いますが定員になりました
(イピアルは交通の便が良く、各地からいらっしゃるので、告知後は大体まもなく定員になります)。

 

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2010年5月 5日 (水)

赤池龍神

昨日、赤池弁財天についてネットで少し調べてみたら、

「飛水峡の中央に位置する河岸段丘上にまつられた弁財天のほこらと鳥居。

昔、この辺りには大蛇が住みつき村人を困らせたが、猟師によって退治され、その時に大蛇の流した血で池も川もまっ赤に染まったという伝説が残っている。

弁財天の社は最近まで荒廃していたが、志ある人の寄進により再建され、毎年地元の人々によって祭りがとり行われるようになった。」

とありました。私はちょっとあまのじゃくなところがあるので、大蛇について違う説を考えてみました。

現地を歩いて気づいたこと。池のそばにたどり着く直前、湧き出る水の影響で、ぬかるんだ場所がありました(踏み具合は、粘土な感じでした)。

が、お社のある丘部分は、変わった結晶の岩石でした。色は、青みがかったグレーに茶色が混ざっています。

茶色・・ 酸化鉄だろうか。目の前に見える池はきれいなグリーンだけど、周囲の酸化鉄の影響で池が赤く見えることもあったのだろうか。

龍伝説のあるところは、水について何かしら昔話がある。日照りが続いて大変困り、雨乞いをした話もあれば、洪水で困った話など。

その晩私達が泊った白川温泉は川の上流ですが、ここが温泉地となったのは比較的最近のこと。

戦前から温泉を掘ろうという話はあったが、戦争と洪水でしばらく話がうやむやになったと、宿に置いてあったパンフレットにありました。

上流が洪水で困っていたのなら、お社のあるあたりもかつては洪水被害が多かったのでは。

洪水=勢いのある困った水=龍の働きの一面  その龍を鎮めるための、または、鎮まって欲しいお社だったとか。

・・強引な妄想は、ここらでやめることにしました。お社に登った時、風が吹き抜け、とても気持ち良かったです。

お社で手を合わせた時。本日ここに来させて頂き、ありがとうございます。
どうかこの美しい地が、子々孫々、受け継がれてゆきますように・・ と、祈らずにはいられませんでした。

断崖絶壁と言って良いような場所に建っているお社は、ここら土地に関連する神様を祀っており、その働きに感謝をするところだろう。

今回たまたま、山間で小さなお社に遭遇したけれど、街中でも歴史のある土地には寺社は多い。

住宅地にも小さなお社はある。今、私達はみな慌ただしい毎日で、こういったお社に出向くことも、思いをはせることも、少ないと思う。

それにしても。

地元の方々が餅を拾っている間にお社を訪れ、誰もいない美しい場所を満喫するとは、それってなんだか不意打ちみたいで、良かったのだろうか(@_@)?と思ったのですが。

あとで聞いたら、だんなさんも同じことを思っていたそうです。

でも、お社で静かに手を合わせ、周りの美しい景色を堪能できて、嬉しかったです。

一昨日の出来事ですが、夢のように美しいひとときでした。異次元に足を突っ込んでいたのでしょう。

この記事を読まれたみなさんが、そういえばうちの近所にもお社があったっけ・・ と、思いを巡らすキッカケになりますように。

近頃は、パワースポット巡りが流行っているみたいです。遠くの有名なパワースポットを巡るのも悪くないと思いますが。

風や日光の様子、小動物や昆虫の出現の仕方、そこに至るまですんなり事が運んだかどうか、様々な事象を観察して、自分の感覚で判断し、人々の感謝の思いが多く伝わる近くの神社を訪れるのも良いのでは、と思います。

帰り道もまた、トカゲと蝶が姿を現してくれました。いつもありがとう。

ここら近辺の高速道路は随分混んだようですが、私達は帰りも高速でなくてもスイスイでした。

 

 

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赤池弁財天

昨日の続きです。赤池弁財天のお社に向かうため、線路沿いの小道を歩いてゆきました。

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線路は単線です。周りを囲うフェンスがないので、すぐそばを「ワイドビューひだ」など通ると、迫力がありました。

途中、きれいなカーブでは、鉄道ファンらしい男性が電車が通ると写真を撮っていました。

ここまで来るのも大変だろうに、撮影ポイントをよく知ってるのだなぁと感心しました。

途中、線路に敷かれた石からカサカサ音が聞こえたので、見てみると、体躯の立派なトカゲが2匹いました。

1匹はすぐに石の隙間に隠れたけれど、もう1匹はしばらく止まっていたので、眺められました。

その後も蝶が別々に2匹飛んできたり、お社に登る石段真下でトンボが止まっているのを見て、多分、歓迎されているのだろうと解釈しました。

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わかりにくいので矢印を入れましたが、目的のお社には旗と吹き流しがあるので、そこを目指して歩きました。

山間の川に面した、崖の上です。傍から見ても、まるで陸の孤島です。

最後に踏切を渡り、急な階段を下って、ようやくついた先では・・

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写真で見るとあまりきれいでないかもですが、透明度のあるきれいな池に感激でした。

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岩から水が流れ落ちているのがわかるでしょうか。この山の水が流れて、できた池のようです。

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後ろを振り返って、さっきまでいた場所を撮りました。矢印の場所がそうです。

歩いた距離は確かに500メートルくらいですが、周りの景色がすごいので、もっと歩いたように見えます。

 

 

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2010年5月 4日 (火)

赤池弁財天竜神祭

昨日と今日、だんなさんと岐阜県加茂郡白川町の白川温泉に行ってきました。

高速を使わなかったですが、渋滞に巻き込まれることなく、スイスイ行けました。春がないまま、いきなり初夏を迎えたような天気でしたが、新緑が美しい山々を通り抜けるのは、とても気持ち良かったです。

近場の温泉に行こうと前から決めていたものの、付近の様子を調べる時間もなくて、とりあえず宿だけ前々日にネットで予約して出掛けました

一応カーナビはついているけれど、かなり前のものなので、地図を見ながら進んで行くと・・

目指す温泉の手前・加茂郡七宗町に、「道の駅・ロックガーデンひちそう」と、すぐ隣りに「日本最古の石博物館」という小さな文字を見つけ、おぉここに立ち寄ることにしました。

道の駅で昼ご飯を食べようと思ったら、同じ考えの人はたくさんおり、飲食コーナーは混雑していました。

五平もちを注文し、外を歩きながら食べたけど、それでは足りず。テント小屋みたいな小さな店に龍神蕎麦とあったので、蕎麦を食べようと移動すると、GWなのに休みでした。

併設のたこ焼き屋で、たこ焼きと五目ご飯を食べ始め・・ 足元付近の壁をなんとなく見やると、「赤池龍神 赤池弁財天」と大きな文字の書かれたポスターがあったのです。

実は、出掛ける直前、ベランダの掃き掃除をしていた時のこと。声の主はわからなかったですが、(今日の旅先で、神社に行って来て欲しい)という声が聞こえた気がしました。

そう言われても、全く知らない土地で、私が行くべき場所がわかるだろうかと、素朴に思いました。

私にわかるなら、行ってみますが・・ と、心の中で消極的な返事をしていました。

地図を見ると、ここらは山間に流れる川沿いの道。

あちこちに小さい神社やお寺は確かにあるけれど、地元の人が訪れるだろうところに、縁もゆかりもない私が行っていいのだろうかと、躊躇していました。

が。ポスターには「赤池弁財天竜神祭」とあったので興味がわき、内容をよく見てみると、今日(3日)の午後1時半から神事、2時半から餅投げの案内があったのです。

その時、腕時計を見ると1時20分でした。よしこれに行こうと思い立ち、たこ焼き屋の兄さんに場所を聞くと、すぐ出掛けることに。

私に引っ張り回されただんなさんが少しばかり気の毒でしたが、その後の時間を彼なりに楽しんでくれたようで、助かりました

場所は神社ではなく、ロックガーデンというところでした。

そこに到着する前、道が細くなる手前で地元消防団の人がいたので詳しく聞くと、この先は道がだいぶ細くなるそう。

消防車も停まっていたその場所に、車を停めていいかと聞いたら、まぁ良いでしょうと。木々の日陰に停めることができ、助かりました。

そこからしばらく、線路伝いの細い道をてくてく歩くと・・

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なんとなんと。山間の小さな春祭りに、立派な青い龍を見つけてビックリでした。

テントでは、綿菓子とジュース販売が。すぐ隣りでは蕎麦がゆでられ、来た人に振る舞われていました。

だんなさんがもらった蕎麦を私も少し食べましたが、山菜の入った冷たい蕎麦で、とても美味しかったです。蕎麦は手打ち、山菜は今が旬だったのでしょう。

偶然立ち寄ることができ、ラッキーだと思いましたが、地元の人しかいない様子。

ちょこちょこ歩いて様子をうかがうと、警察官が地元の人とのんびり会話をしており、「もっと観光者が来ても、良さそうなものだがなぁ」「・・ここらは、道がないでなぁ」そんな声が聞こえてきました。

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青い龍は、私達が訪れる前に奉演があったのかも。動くのは見られませんでした。青い龍の下では、祭壇らしいものが組まれていました。

私は離れたところから見るだけでしたが、祭壇周りはスーツを着た男性達がいて、神主さんと思われる男性は山伏の格好でした。

腰からお尻にかけて、鹿の毛皮らしいものがヒラヒラしていました。山間のお社は、昔から山伏が関わっていたのだろう。初めて知りました。

2時になると、なにやら式次第に従い、山伏の方が般若心経を読み始めました。

以前、奈良の天河神社の朝事に参列した時、やはり般若心経が読み上げられたのを思い出しました。

明治時代に廃仏毀釈があったけれど、山間ではかつて、仏教、神道、山岳信仰が混在し、その名残なのかなぁ・・ と思いました。

地元の人達は餅投げを待っている様子でしたが、私達は餅投げには興味がありませんでした。

ロックガーデンから500メートル離れた場所に、赤池弁財天のお社があると気づいたので、そちらへ移動することにしました。

もう少し写真を紹介したいので、別の記事で綴ります。

 

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2010年5月 2日 (日)

光の柱プロジェクト・鳳凰の旅人*後編

初めはとりとめもない話をしていましたが、そのうち、何やら話が変わってきました。

12月の終わりに、二人がある店を訪れたこと、そこで店主のJさんから、日本を鳥の形と見て各地を旅していると聞いたこと、Jさんとはその後メールやりとりをしていて、初めに訪れた地で撮った写真も受け取っていると。

そして、H姉さんは携帯を取り出し、Jさんが送ってくれたという写真を見せてくれました。4枚ほどあった写真の中で、最後に見た写真に、私は思わず息をのみました。

それは、ある場所から日本海を見下ろして撮った写真で、太陽が写っていたのですが、通常なら写ることのない形で、太陽光の一部がまっすぐ、海面まで伸びていたのです。

それはまさに、太陽から伸びた、光の柱でした。私にはそう見えました。そして、二人の話を聞いていたら、だんだん胸がドキドキしてきました。

Jさんが訪れたのは、私達が訪れていない日本海側と東北のある場所だったこと。

H姉さんが仕事のついでとは言え、千葉からはるばるやってきて、K姉さんと一緒に作品展のカフェを訪れる日は限られており、二人が行ける日は初め、私はカフェに行かないと綴っていたこと。

それがその後、私の予定が変わり、二人が行ける日に私もカフェに行くことになったこと。

K姉さんは年明け早々から腰痛に苦しみ、つい最近まで歩くのも大変だったが、なんとか歩けるようになったこと。

私自身も、年末に父のことがあってしばらく慌ただしかったし、作品展をやることが決まってからもずっと慌ただしかったから、この話を聞くことができたのが「今」で良かったこと。

そして、一番ビックリしたのは、Jさんの店は作品展のカフェと同じ区内にあったことです。

是非、Jさんに会って話を聞いてみたいと言ったら、ここら近辺はK姉さんの庭みたいなものだから、じゃ、今から連れてってあげると言うのです。

・・・

いくつも重なった小さな偶然を復唱し、私の頭は真っ白でした。

出掛ける前に、しーちゃんの携帯を鳴らし、うわずった声で「急な話だけど、鳳凰の旅をした人と会えるかもしれない」と伝え、早速出掛けました。

Jさんは出掛けていたのですが、ほどなくして戻ってきました。

小柄でかわいらしい女性でしたが、しゃべってみると、本当に優しく、たおやかで、慈愛に満ちた人だとわかりました。

しーちゃんは彼女の顔を見てみたいと言うので、あとで私はJさんと一緒に携帯で撮らせてもらい、それを送信しました。

しーちゃんは、(彼女を知っている)と感じ、涙が出そうになったと返信が来ました。

初め私は、胸がいっぱいで、何をどう話して良いのかまとまらず、他にお客さんもいたので、遠慮してJさんに話しかけることができませんでした。

そこをまた、H姉さんがJさんに話しかけ、取っ掛かりを作ってくれました。

ようやく、私達の旅のことを大雑把に話しましたが、彼女はきょとんとした顔で私の話に耳を傾けてくれました。

その後、彼女がどこを訪れたか、どういういきさつで各地を訪れたのかを聞きました。

その様子は、私達の旅の様子と似ている部分もあれば、違う部分もありました。

似ていたのは、出掛ける前はいろいろと大変なことがあったけど、なんとか決めた日取りで実現できたこと、目的地を訪れる前は悪天候でも現地に訪れると天候が変わったこと、目的地では光や天候などでサインを受け取っていたこと。

違う部分は、私達の旅ではしーちゃんが龍神様からダイレクトにメッセージを受けていたけれど、Jさんは周りの人達が何気なく話す言葉からメッセージを受け取り、自分なりに解釈し、それが正しいかどうかも、周りから来るサインで確認していたことでした。

鳳凰の旅人について、龍神様からはもう少し詳しく語られていました。

そのうちの一つに、「(私達は旅のことをブログに書いているが、鳳凰の方は)それをブログに書いている者はいない」というのがありました。

実際、Jさんはネットで公開していませんでした。なので、どこをどう訪れたのかは、私も公開しないことにします。

光の柱に見える写真も、ネットでの公開を本人に確認しなかったので、公開しません。

最後に一つだけ。「鳳凰の玉」と言うのは、比喩的な表現でした。

私達が電柱のような柱を建てたのではないように、水晶のような玉を埋めたのではない、ということだけ綴っておきます。

その日私は寝るまで、頭がポーッとしたままでした。

まさか、こんなに近くにいたなんて。会うことができて、しみじみ、幸せに思いました。

そして。私がJさんの元を訪ねるまでに、実に様々な存在が働いて下さっただろうことに思いをはせ、深く感謝の思いを送らずにはいられませんでした。

H姉さん、K姉さん、本当にありがとう二人がいなければ、私はまだJさんに会えなかったと思います。

次の日、しーちゃんは龍神様からメッセージを受け取って、「昨夜白龍が会った、鳳凰の役目をした者は、我らが伝えた者」とのことでした。

 

 

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2010年5月 1日 (土)

光の柱プロジェクト・鳳凰の旅人*前編

去年の11月、一番しんどかった日光で光の柱を建て、ひとまずホッとしていた頃。

しーちゃんは龍神様から興味深いメッセージを受け取っていました(そのメッセージは、こちらを参照)。

私達は日本列島を龍体と見て、各地に柱を建てる旅をしたけれど。

私達が訪れていない場所(主に東北地方、日本海側)を、鳳凰が持つと言われる玉を埋め、岩戸開きを行っている者がいるとのことでした。

そのメッセージを受けたしーちゃん本人は半信半疑の様子だったけれど。

私はその内容を聞いた時、強く胸に強く響き、「鳳凰の旅をしている人は、絶対にいる」と思いました。

目に見えない龍神様の言われることを(本当に違いない)と思うのは、客観的に見ると正気の沙汰ではないですが。

胸の深い部分で私はそれを知っていて、妙に反応したのかもしれません。

いぶかしく思うしーちゃんに対し、ネットで調べるでと、私はワクワクしながら龍と鳳凰について検索してみました。

そこで初めて、昔から龍と鳳凰は何かとペアになっていることを知りました。

詳しく知りたい方はご自分で調べて頂くこととして、とても大雑把に説明すると、龍=男性的 鳳凰=女性的 という働きでした。

そうか。龍と鳳凰はペアなのか。

5年でも10年でも待つから、鳳凰の旅に出ていた方といつか必ず会えるようにと私は願いを飛ばし、次の月に北海道で最後の柱を建て、私達の旅は終わりました。

12月当時、しーちゃんと私のブログ記事をセットで読んで下さった方はたくさんいらっしゃったと思いますが、その中に、H姉さんとK姉さんがいました。

今から6年ほど前、私はある掲示板で時々書き込みし、常連のみなさんと楽しくやりとりをしていました。

その後、掲示板はなくなりましたが、5年前のある朝、いきなりH姉さんから初めて電話がかかり、うちに行っていいかと言われ、私は面喰いながらも大歓迎で迎えました。

なぜなら、H姉さんは遠い千葉在住だったからです。その時、H姉さんを連れてきたのが、名古屋在住のK姉さんでした。

H姉さんはオープンハートでこちらの胸に飛び込んできて、一気に親しくなりました。

K姉さんいわく、H姉さんは人と人をつなぐのが抜群にうまい、人間瞬間接着剤みたいな人。まさに、その通りの人でした。

H姉さんは仕事でこちら方面に来て、ついでに立ち寄ったのですが、行動範囲は日本全国?と思えるほど、フットワークの良い姉さんです。

その後も、友人を連れて我が家に遊びに来たり、催しに一緒に参加したりと、普段は密な付き合いはなくても、何かの時にはヒュッとつながって、濃いひとときを共に何度か過ごしました。

ここ最近は、両姉さんとも付き合いがなかったのですが。

12月の年末も押し迫ったある日。H姉さんはまたこちら方面に来る機会があり、K姉さんと一緒にあるお店に行ったそう。

そこで、店主さん(以下、仮称でJさん)といろいろ話を交わした時、Jさんは日本を鳥の形と見て、各地を訪れる旅をしていると耳にしたそうです。

H姉さんは、それって静香さんのブログにあった鳳凰のことではと、すぐ思ったそうです。

そして、このことを私に話して知らせたいと思ったそうですが。

H姉さんはしょっちゅうこちらに来られるわけでもなく、K姉さんは年明け早々、転んだのが原因で腰を痛めてしまい、4月中頃まで歩くのも困難な状況だったそうです。

そのことを全く知らずに私は、自分の作品展DMをK姉さんに送っていました。

作品展を行うカフェはK姉さんの家から近いだろうと、住所で大体わかっていたので、K姉さんには是非来て欲しいと思いながら、ちょっとした文章をDMに書き込んでいました。

そして。K姉さんは、私がカフェに行く曜日をブログでチェックし、私に知らせないで、カフェに来てくれました。千葉にいるはずのH姉さんも一緒にです。

この時、私がどんなに驚き、同時に嬉しかったことか。黙ってやって来るのが、二人らしいやり方なのですが。一気に私の頭の中は、ハイテンションになりました。

 

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