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2011年2月 3日 (木)

光の柱プロジェクト・偽の柱を倒す

光の柱プロジェクトの続きを綴ることになるとは、私自身も思っていなかったですが。

詳しくは、しーちゃんこと静香さんがブログで綴ります(その記事 )。私は、ごく簡単に綴ります。

光の柱プロジェクトとは、2009年の夏から半年かけて龍の仲間と一緒に日本各地に赴き、各地の光の存在と共に建てた柱のこと。

その旅の模様は、カテゴリー・光の柱プロジェクトにまとめてあります。番号のふってある記事が、そうです。

今回、しーちゃんと私は自宅で待機し、1人の女性(以下Kさん)が出雲大社に赴き、3人連携でエネルギーを合わせ、偽の光の柱を倒し、新たな柱を建てました。

2009年の旅と同様、事前から備えていました。

先月、しーちゃんは友人と一緒に麻賀多神社に行き、天からの光を受け取ったとあったけど、あれは今回のことの前準備でした。

今やしーちゃんは全く不動で、闇も手出しできないけれど、今回私は揺さぶられることが多かった。

闇は、弱いところに揺さぶって来る。正直なところ、先月私は一昨年の旅のよりしんどいなぁと思った時もありました。

が、そこは私も根性を発揮し、自分の弱みと向き合い、サーッと流して解決しました。

もっと大変だったのは、1人で出雲に赴いたKさん。

今まで普通の暮らしをしていた彼女が、短期間でしごかれ、闇と向き合い、悩みや苦しみを乗り越え、精神的に鍛えられたのもつかの間。

現地に1人で放り出されたのは理由があったからですが、そのあたりはしーちゃんが綴ると思います。

私の役目は、主にお笑い担当と、当日は後方支援でした。

いきなり大役を任されたKさんに、なぜか私はおっちょこちょいな面をいくつも披露し、笑いを誘っていました。

私、そんなキャラじゃないのにと、自分でも不思議でしたが、そのうち、精神的にいっぱいいっぱいなKさんにこういう私を見てもらい、笑いで一息ついてもらって良いじゃないかと理解しました。

光の柱の旅はいつも、事前には詳しく知らされない。なので、当日一体どういう動きをするのか、その場になってみないとわからない。

今回も、「3人で連携し、エネルギーを合わせる」くらいしか聞いておらず、具体的に何をするか知りませんでした。

それでも、過去の体験があるので、深い根拠もないまま「必ずなんとかなる」と、どっしり構えていました。

今日は節分。多くの人が各地の寺社に出向いたと思いますが、私達は早起きし、執り行いました。今日のことは、ここでは私の体験したことだけ綴ります。

朝、携帯が鳴り、しーちゃんから「今からやるよ」とだけ言われると電話を切り、境内にいるKさんに意識を合わせました。

私は、左手にはいつものスモーキークォーツ、右手にはアメジスト球を握っていました。なんとなく、それらが良いサポートをすると思ったからです。

それまでは、お腹(丹田)に力がずっしりみなぎるようだったのが、急に力が抜けた感じが。

あれっ、何だろうと思いましたが、おそらくそれまで充填したものをKさんに送っているのだと理解しました。

私は、彼女の足元だけを後ろで見ていました。足元しか見えなかったと、言い直して良いかも。彼女の周りに良からぬものが近づかないよう、防御している感じでした。

途中途中に携帯に連絡が入り、状況を大雑把に把握し、しーちゃんが偽の柱を倒した。その辺りは、彼女のブログを待ちましょう。

 

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光の柱プロジェクト」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
そんなことがあったのですね・・・
今日は節分でしたし、新しい空間がまた開いたような感じでしょうか。

「自分で巻いた種を利息をつけて自分で受け取らされる。」

清らかな光の中に、自分はいるつもりで、また清らかな光の中にいたいという思いもあって、日々生活しているけれども、それが本当に清らかな光の中なのかどうかは、自分の感覚に頼るしかなくて、その感覚は磨いておかないと、感度が鈍くなるのですよね。
たとえまちがった方向に行っていたとしても、違っていることを、周りの言動や、自分自身の感覚で気がつけば、軌道修正できると思うのですが、そんな流暢なことを言っている暇はないのかもしれませんね。

瞬時に把握できるように、自分がぶれないようにしっかりしている必要がありますね。

*@茶さん

まぁそうですが、柔軟に行きましょう。

直感で何もかもサッと判断できれば良いけど、
体調が良くない時は直感も鈍るし、
迷って間違え、痛い思いをして覚えることも人生経験でしょう。

日常できれいなものを見ては、わぁきれいだと感動し、
喜怒哀楽を味わい、怒りや悲しみはうまいこと発散し、
人から何かしてもらったら、ありがとうと伝え、
できる範囲で自分の生活空間はきれいに保つ。

そういう感じで、日常を丁寧に暮らしたら
良いのではと思います。

そうですね(^^)
丁寧に暮らすことからですね。

自分の堅さに気づけました。
ありがとうございました☆

LOONさんこんにちは☆


いつも色々な角度からのお話をありがとうございます。


静さんのブログも合わせて読ませて頂き、光の柱を最後まで力を合わせて建てられたOさんの変わりの様な形でKさんがお役目を任されたそうですが、光の柱を建てたその後にOさんが変わってしまったと言うのは、光の柱を建て終えた後の特にどの様な気持ちが、Oさんを変えてしまったのでしょうか?


話せない事もあると思いますが、気になったのでお聞きするだけしてみようかと思いました。


唐突に申し訳ありません。

*空さん

おぉ、こんにちは!お元気そうで、何よりです。

>光の柱を建て終えた後の特にどの様な気持ちが、Oさんを変えてしまったのでしょうか

同じように思う方は、少なくないと思います。
大雑把に説明すると・・

光の柱を建てた後、いつもの日常に戻ると、
静香さんはメールでの相談、各地で光の会開催など、
私はアクセサリーの仕事、春には作品展と、
慌ただしくなりましたが、
Oさんは会社勤めなどもなく、少し寂しい思いがあったと思います。

あることをきっかけに、Oさんは楽しくなり、
あっという間にのめり込みました。
そうなったのは、元々の彼女の寂しさが大きかったのでしょう。

まさに、心の隙を狙われた。
そういうことでした。

スピリチュアルな業界ではよく、
自分の中を掃除しろ、心の闇と向かい合え、
握りしめているものは手放せ、
感情のわだかまりを失くせと言われますね。

自分の本当の思いをよく見て、感情を発散させておかないと、
取り返しのつかないことになることもある。
その一例を見たと思っています。

LOONさんありがとうございました。


楽しくなりそれにのめり込む・・・その状況は自分の心に正直な様に一見見えますが、その前にある自分の心の寂しさ・・・が自分の正直な心であれば、それとまず向き合わなければ、その本当の正直な心を被い隠そうとする行動を重ねがちになってしまいますよね。


そして結果的には生き生きするのではなく、気付いた時には自分や大切な人までも、負の連鎖に巻き込んでしまう事もあるのですよね。


そういう事は日常的には良くある事かもしれませんが、どこの場所のどの立場に立たされた時も、一人一人がLOONさんの思う所と同様な事に気付くのと気付かないのとでは、それが些細な事だと思う(そういう考えに逃げてしまう場合も)のと思わないのとでは、違って来ますよね。


難しく考えるという事ではなく、それをする事は難しいのは実感として私等は多々ありますが、心にふと引っ掛かった事や留まる事にまず素直である事が大切なのですよね。


自分に置き換えた時、そんな風に感じますし、感じました。


いつもありがとうございます。


これからも宜しくお願い致します。

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