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2013年10月 2日 (水)

トーマさんのメルマガより 「悪の効用」

2012060603

今日トーマさんから届いたメルマガは、やや重たい内容ではあるけれど、とっても深くて、またしても、うぅむ~ とうなる内容でした。

私、この頃、どうして人間はこんなにも愚かなんだろう?と思うことが多く、それと通じるものがあって、胸に響いたのかもしれません。

賛否両論あると思うけれど、私自身はこういう見方も大事じゃないかと思うので、掲載します。

いつものごとく、長文ですが、よろしければ是非お付き合いください。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…

映画「藁の楯」を、DVDで、観ました。

感想は、たくさんありますが、一つは、 「人間は、悪という存在について、改めてもう一度、考える時期にきているのではないか?」 ということです。

「悪」という存在は、おそらく、人類が、誕生した頃から、存在していただろうと、思われます。とても根深い問題だと、思います。

問題が大きすぎて、一言で簡単に言うようなことは、できないのですが、今回は一般的に考えられている角度とは、違う方向から見てみようと思います。

まず、この映画を観て思ったのですが、「悪」という存在にもいろいろな種類があるし、レベルも存在するということです。

たとえば、人間が殺人事件を犯す時にも、ついカーッと頭に血がのぼって殺してしまうものもあれば、何もかも計算しつくして、計画的にやるものもあるし、悪事そのものに誇りやプライドをもって、やっているような悪魔の仕業ような犯罪もあります。

外国に比べたら日本には、本当の悪魔のような人間はそれほどたくさんは、いないと思います。

この映画には、本当の悪魔のような人物が描かれていますが、今後はこのような人間に対して、一般の社会がどのように接していけばいいのかが、問われることになると思います。

悪魔のような人物が、本当に血も涙もないようなロボットだったら、まだ問題は単純なのですが、こういう人物でも、自分の家族は愛していたり、やさしい心も併せもっていたりするので、複雑な問題なのです。

何度か書いたことがありますが、ご存知のように、私は中学2年生の頃、身体が弱くて、いわゆるいじめられっ子でした。

いつもクラスメイトの暴力に脅えて、ビクビクしながら、毎日を過ごしていました。

心がやすらぐのは、トイレの中や図書館だけという、最悪の学生生活でした。自分の人生の中でも、最悪の1年間でした。

その当時、隣のクラスに、S君という凄い不良がいました。

他の不良たちとは、桁違いの悪だったらしくて、不良連中から一目おかれていました。

なんでも、父親が沖縄で有名な暴力団の幹部で、母親が暴走族のトップという悪のサラブレッドでした。ただ、ほとんど学校にも、来ていませんでした。

あるとき、そのS君が、珍しく、登校してきたのです。

私は最弱の男だったので、特にS君のことなど気にしてなかったのですが、他の不良連中は、微妙な力関係でもあるのか皆、神経質になっていました。

彼が学校に来ていたのは、わずか数日だったと思うのですが、面白いことが起こったのです。

なんとそれまで、あれほど酷かった私へのいじめが、S君が登校した途端、ピタリと止まったのです。

それまで、どんなに先生に遠まわしに相談したり、周囲の友人に助けを求めても、まったく止まらなかったいじめが、嵐が止むように、なくなったのです。

おそらく、S君の前でいじめなんかやって目立ったことでもやったら、まずいことになるかもしれないという恐れが、いじめグループたちの中に、あったのかもしれません。

いじめグループの連中は、本当に悪質ないじめをやるのは、普通の成績の子だったり、かえってちょっと成績が良かったりする子が、多かったです。

不良連中は、あまり陰湿ないじめは、やりませんでした。そのいじめグループや不良連中が、S君の前では借りてきた猫のように、おとなしくなっていたのです。

体育の時間にバレーボールだったのですが、一度だけ、S君と組んで二人でトスとレシーブを、やったことがありました。

誰も、怖がってS君と組まなかったので、しかたなく、私がパートナーになったのです。

「オマエ、下手だな… あはは」 こう言いながら、彼が、笑った時の笑顔が、今でも印象に、残っています。

とても哀しそうで、でもちょっとやさしそうで、それでいて、とてつもない悪の心が同居しているような不思議な男でした。

私は、彼の怖さよりも、彼と一緒にいる間だけは絶対にいじめられないという安心感のほうが大きかったので、彼とその時間、楽しくプレーしました。

そしたら、後からいじめグループの連中から、 「オマエよく、S君と楽しくおしゃべりできるな… 怖くなかったのか?」 と、驚かれました。

その時にそうか… 悪人というのは、善人の言うことなど、聞かないんだな… 悪い奴というのは、もっと悪い奴には、従うんだな」 こういう気づきが、ありました。

S君は、中学を卒業した後は、すぐに福岡の暴力団に入って、その当時九州で、最大の暴力団抗争があったらしいのですが、そこで手柄を立てて、10代でその暴力団の幹部に、なったそうです。

しばらく忘れていたのですが、20歳の頃に、沖縄県全体を震撼させるような殺人事件があって、テレビのニュースを見たら、なんとそのS君が主犯として逮捕されていました。

その後、彼の罪状などがどうなったかはわかりませんが、私が直接会った人物の中で、もっとも凶暴だと思ったのが、このS君でした。

私はその後、大学で臨床心理士になろうと思って、カウンセリングの勉強などやっていたのですが、その時、指導してくれた教授にS君の話をしたら、

「そうですか… 実は私も、若いころ、刑務所の中でカウンセラーの仕事を、しばらくやっていたことがあります。その時、殺人犯を主にカウンセリングしていました」

そう話始めました。続けて、

「しかし、その仕事をしていく中で、生まれつきの人殺しという人間が存在することに、気がつきました。世の中には、人殺しをするために生まれてくるという絶対悪の人間が、いるみたいです」

それから、しばらく間をあけて、

「そういう人間も、やはり、この世界に存在する理由や価値が、あるのかもしれませんね… 私には、まだそれがなんなのか、わかりませんが…」

複雑な表情をしながら、こう呟きました。

昔から、ヤクザや暴力団は、存在しています。 世界中にも、マフィアのような悪の集団は、たくさん存在しています。

これらのグループを、全て無くそうという動きももちろんありますが、はたして、これらを全部無くしたところで、世界はよくなるのか、それは、わかりません。

いつか、世界中の人々の霊性が上がって、皆が人格者になれば、自然に無くなるのかもしれませんが、無理やり無くそうとした場合、どうなるかは、わからないのです。

もしかしたら、暴力団やマフィアという巨大な悪魔のグループが存在するおかげで、チンピラクラスの悪魔たちがおとなしくしている可能性も、あるのです。

もしも、こういった悪のグループを無くしてしまったら、チンピラクラスの悪が暴走してしまう、可能性もあるということです。

暴力団やマフィアがいいとは、言いませんが、これらがチンピラに睨みをきかせている間は、チンピラがおとなしくしているのです。

軍隊などももちろん、いいとはいいませんが、軍隊が無くなった途端に、それまでおとなしくしていた小さなゲリラやテロ組織が、過激になる可能性もあるのです。

アメリカに住んでいた頃、現地の人から、アメリカではギャングたちがいるエリアは、警察官のほうが凶暴で怖いという話を聞きました。

物分かりのいいやさしい警官だと、ギャングたちにナメられるため、そういうエリアを巡回している警官は、ギャングたちが震え上がるようなヤバい警官が担当しているのだそうです。

なるほど…ですね。

さらに、アメリカのある大都市は、ある時期からとても治安がよくなったのですが、いろいろな対策をたてたそうですが、一番効果のあったのが、アメリカで一番大きな組織のマフィアのボスを市長にしたのが、てきめんに効いたそうです。

とても凶暴なマフィアのボスが市長になったおかげで、その街のチンピラ連中がおとなしくなったのだだそうです。

これは、ボスにとっても、嬉しいことです。

「マフィアのボス」という肩書よりも、「アメリカの大都市の市長」という肩書のほうが、死んだ後、自分の子孫たちにも自慢できるからです。

もちろん、表向きは、その市長がマフィアのボスということは、内緒にしているみたいですが、このように世の中には、

「毒をもって、毒を制する」「蛇の道は蛇」「清濁併せ呑む」

というようなテクニックを使って、悪いシステムを善い方向へ改善することが、けっこうたくさんあるみたいです。

日本でも、昔、有名な空海が、

「この世界には、毒というものは存在しない。どんな毒も、微量で適切な使い方をすれば、薬になる」

と言ったという逸話も、聞いたことたあります。

「人が、歴史を、動かしている」とのも、真実だと思いますが、もう一方で、「歴史が、人を、動かしている」という側面も、あると思うのです。

たとえば、第二次世界大戦の前に、誰かがドイツのヒットラーを抹殺していたとしても、やはり、ヒットラーのような別の人物が同じことをやって、同じ歴史を歩んだかもしれないのです。

現在も、世界を動かしているような超権力者の存在がよく話題になりますが、これらの権力者を皆、殺しても、やはり同じような人たちがまたでてきて、同じような世界をつくるかもしれないのです。

こう考えると、「世界そのものを、変える」という方向も大切ですが、一方で「世界に対する認識を、変える」 ということとも同時にやったほうがいいし、こちらのほうが即効性があるような気がするのです。

もっとわかりやすい表現をすると、「悪を、この世界から無くす」こともいいのですが、同時に「悪の効用を、考える」というのが現実的で、効果のある革命になるような気がするのです。

発行者:トーマ

 

☆私のメインサイトです。↓
http://www.tomaatlas.com/

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コメント

ポテンシャルプロファイリングの溝口先生も言ってた。
マフィアや暴力団は無くならないのだって。
正負の法則なんですって。
光の裏には影があるものね。。。
『悪の効用を考える』
と言う言葉に唸ってしまいました。。

先日ハヌルさん達とLOONさんがブログに書いてあった
話で盛り上がりました。
LOONさんの記事は内容が豊富で難しいのですが
なる程、と、いつも考えさせられます♡

うーん、やっぱり。
バランスって事なんでしょうか、 難しいです。

*ティニママさん

私も、『悪の効用を考える』なんて、
考えたことなくて、うなりました。

>LOONさんの記事は内容が豊富で難しいのですが

あー、時々、小難しいこと書いてますよね(^^;)☆
わかりやすいよう、努力しますね
いつも本当に、ありがとうございます

*夏々さん

そう、バランスなのでしょうね。
でも、今は混沌としながらもいずれバランスが取れ、
素晴らしい未来につながるようにと、信じたいです

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