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2015年9月17日 (木)

時代の過渡期

今日は教室の後でお客さんと、「この頃はいろんなモンスターが増えたり、細かいところまで気にしなければならない場面が増えた」等々、話してました。

私は今46歳ですが、私の同世代の方は、バブル期以降、様々な社会の変化を感じていると思います。私より上の方は、もっといろいろ感じていらっしゃるでしょう。

どれも単純な変化ではなく、背景にいろんなことが複雑に存在し、「今の時代感」になっていると思います。

私が短大を卒業して働き始めた時、会社では、女性の先輩たち(大体40歳以上)は何かと手厳しいと感じたものでした。

当時、私はいろいろしっかりやっていたつもりだったので、どうして意地悪なんだろう?と思いつつ、それ以上あまり考えることはなかったです。

しかし自分が40代になってもまだ、自分の未熟さを知る機会は多いもの。

今、20代だった頃を振り返ると、当時なぜ先輩たちの視線が冷たかったか、彼女らの気持ちがようやくわかるようになりました

とにかく物事を知らなかったし、社会を知らなかったし、子供だったのです。

そんなこんなを思いつつ、帰宅してパソコンを立ち上げ、トーマさんから届いたメルマガを読むと、そういう見方もあるのかと、納得。

以下、胸に響いたところをコピペします。

*****

以前にも書いたのですが、もう一度書きます。この社会には、「子供の会話」と「大人の会話」の二つが、存在しているようです。

「子供の会話」というのは、「白黒をハッキリつけたがる会話」です。「白か? 黒か?」を決めるのが、目的です。

「正しいか? 間違っているか?」「良いか? 悪いか?」などと物事を、正誤や善悪で、単純に判断する人同士の会話です。必然的に、喧嘩が多くなります。

喧嘩の多い友人関係、恋人、夫婦は、だいたいの場合、お互いにこの会話のパターンを、繰り返していることが多いです。

個人でも、怒りっぽい人は、単純な傾向があります。いろいろな物事を単純化して、白黒つけたがる視点や発想が、自分を傷つけたり、他人と喧嘩したりする原因になっているのです。

だから、普段から喧嘩の多い人は、

「自分は、物事を単純化して、考えているのではないだろうか?」と考えてみてください。

一方で、「大人の会話」というのは、「物事のディテールを、楽しむ会話」です。

「どうして、そうなんだろう?」という原因を、分析したり追求するのが、目的です。

「いろいろな状況で、比べてみよう!」「人によって、どういう視点の違いがあるか、調べてみよう!」

などと物事を、冷静に整理します。だから、あまり喧嘩になることはありません。

友人関係や組織、グループなどで、皆がこういう姿勢だったら、その集団は仲がいい場合が多いです。

穏やかな人というのは、思慮深いのです。私は、こういう大人の会話ができる人が好きです。

いろいろな視点、様々な立場や状況から、物事を見られるのは、魂が成熟しているということです。

「子供の会話」の例をあげると、「テレビ番組は、くだらない!」「インターネットは、有害な情報ばかり!」「肉食はダメ!」

「原発は悪い!」「お金は汚い!」「北朝鮮は悪い国!」「マスコミは嘘ばかり!」「政治家は悪人ばかり!」

こういう単純な発想です。

これでは、あちらこちらに、喧嘩をふっかけて歩いているようなものです。

いろいろな情報を集めて、反対意見も聞きながら、冷静に分析すると、いろいろなことが、わかってきます。

全ての出来事は一枚岩じゃないし、細かくディーテールを調べると、様々なことが、複雑に絡んでいることもわかってきます。

いろいろな立場や状況、その背後に隠れている構造や思惑、そういうことがわかってくると、

「複雑で、難しいんだな… そんな理由があったのか… これは、簡単に結論は、出せないな…」

などと、考えこんでしまうこともしばしばあります。

この世界は、やはり、人知を超えたような力が働いていて。

なんだかんだいって、無駄や悪に見えていたことが、実は、バランスをとるのに必要だったり、大難を小難にするための策だったり、いろいろな思惑があったりすることも、わかってくるのです。

たしかに、悪い奴らがいろいろな謀略や陰謀を、陰で企てて悪さもやっているので、それを知ると、「こんなに悪い連中が、こんな悪さをしてるんだー!」

と怒りが、わいてきます。

でも、それからさらに、一歩踏み込んで調べると、たくさんの心の優しい、素晴らしい人たちがそれを防ぐために、いろいろと裏で動いていることもわかってきて、

「たくさんの素晴らしい人たちが、こんなに献身的に、活動してたんだー!」

と感動して、感謝の気持ちがわいてくることもあります。

そもそも、昔から日本人というのは、成熟した大人の社会を築いてきた民族なのです。山や川などの自然に囲まれた環境で、育ってきたことが、大きいようです。

現在、世界を動かしている欧米諸国の発想の根幹には、「ユダヤ教」や「キリスト教」、そして、「イスラム教」がありますが、これらは、「砂漠の土地」で、生まれた思想です。

「砂漠」というのは、そこに住む人たちの価値観を、「二元論」にしやすい環境だそうです。「光」と「闇」のコントラストが、強いからです。

「昼か? 夜か?」「暑いか? 寒いか?」「光か? 闇か?」

砂漠や洞窟で、生活していると、こういう発想に、なりやすいそうです。

必然的に、物事を、「YESか? NOか?」というような、「白か? 黒か?」で、ハッキリ決めるような姿勢になってくるようです。

宗教観も、空を見上げる機会が多いので、神が上から見ているような気がするのだそうです。こういう環境から、

「神が、人間を罰する」という発想もでてくるようです。

日本のように、大昔から、人々の住む場所に樹木が茂り、木々で空が覆われている環境で暮らすと。

必然的に目線が花や草木、石、川などに向かうために、神々が自然の中に宿っているという宗教観や世界観に、なるようです。

「八百万の神」という表現も、こういう環境から、出てくる発想みたいです。

「草花や石などの全ての自然物に、精霊が宿っている」という感覚ですね。

さらに、普段の生活空間が、木々で覆われているので、太陽光がハッキリと分かれないという環境で、生活することになります。

特に、朝日や夕日が照っている時は、「昼なのか、夜なのか、よくわからない」という状況になるのです。「木洩れ日」ですね。

木々の枝葉の間から、洩れてくる日光が、日本人の発想や価値観の根本じゃないかと、私は、考えています。

「光なのか影なのか、よくわからない」という曖昧さが、日本人の価値観の象徴なのです。

これは、魂の成熟さも、表していますが、やさしさや穏やかさでもあるのです。

人間は、山や川などの豊かな自然の中で暮らすと、このように、世界観や宗教観が、やさしくなる傾向があるようです。

だから、「キリスト教」も「仏教」も、「イスラム教」も「道教」も、それから、「神道」も、たくさんの宗教が、仲良く共存、共栄することも、可能なのです。

「クリスマスを祝って、正月は神社に行き、葬式はお寺でやる」

という、一見無節操な文化は、器の大きい成熟した、大人の社会なのです。

これは、余談ですが、ある本に書いてあった話です。

ある時に、国連で、日本の代表が中近東諸国に、

「いいかげんに、争うのは、もうやめにしたら、どうですか? やられたら、やりかえすというような復讐を、いつまで続けるんですか?」

こう提案したそうです。それから、さらに、

「そろそろ、それまでの歴史上の出来事を時効にして、不問にするというようなルールを、つくってはどうですか?

いろいろあったでしょうけど、このへんで、全部水に流してはどうですか?」

と言ったら、中近東の人たちが、困ったような顔をしたそうです。通訳を通じて、いろいろと話したら、面白いことが、わかったそうです。

なんと、中近東の人たちには、「水に流す」というニュアンスが、伝わらなかったのだそうです。

そもそも、あまり水もなく、しかも、水が流れていない砂漠の場所が多いために、この表現が、イメージできなかったそうです。

それで、その日本の代表が、「それでは、神のいる空に上げるというのは、どうですか?」と提案したら、ようやく、

「うん、それなら、なんとなくわかります」という話になったのだそうです。

日本人のほとんどが、すぐにイメージできる、「水に流す」というのが、イメージできない人も、世界には、たくさんいるということですね。

「木洩れ日」という単語は、私のとても好きな単語です。

「清濁併せもつ」というような表現よりも、「光と影を、美しく統合する」というニュアンスがイメージできます。

言葉よりも、こういう視覚的なイメージのほうが、情報量も多いと思います。

外国人から、「日本人は、YESとNOを、ハッキリ言わない、曖昧な民族だ!」と批判されたら、

「いやいや、それは、誤解です。日本人の世界観は、木洩れ日のようなものです」と説明してあげるのも、いい文化交流だと思います。

「日本の心」として、「木洩れ日」というイメージを、世界に広げていくのも、面白いかもしれません。

それによって、ギスギスした対立の世界が、少しはやわらかくなり、世界は、緩和するかもしれません。

「木洩れ日」から洩れてくる、日光を見ていると、心が、やさしくなってききます。「日本の心」の原点は、「木洩れ日」かもしれません。

☆コピペ元は、こちらです☆

2009081805p8170024
(↑画像は、'09年8月に分杭峠で撮ったもの。木漏れ日が本当に気持ち良いところでした)

*****

安保法案については、いろいろ思うことありますが。2012年12月に自民党が返り咲いてから、こうなることは予想がついたこと。

私たち大人の選んだ結果でしょう。デモを起こしても、政治家の先生方はそう簡単に変わらない。

ならば、どうするか?

私は、私たちがもっともっと、強烈に強い思いを寄せ、時代を変える原動力にしたら良いと思います。それが、著しく足りない。

首相以外に、私たちの思いをまとめる求心力のあるリーダーが現れると良いのだけど。

それを待つより、個人が自分の思いをグワッと、腹から大きく持ったら良いと思う。

これがどれほど巨大な力な力を持つのか、いずれ私達は知ることになるでしょう。

そんなこんなも含め、今は「過渡期」。

日本にとって世界にとって、一番良い方向に向かうことを祈りつつ、この時代の狭間をしっかり見てゆきたいです。



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