滋賀県東近江市の太郎坊宮へ
今日は、時々神社へご一緒しているはな姉さんと関西在住のFさんと合流し、滋賀県東近江市の太郎坊宮へ行って来ました。とても良かったです~
はな姉さんとは去年、中川区の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)、岐阜市の伊奈波神社など行きました。
滋賀は京都に近く、歴史も古いので、他ではあまり聞いたことのない名前の神社が多い気がします。良いですねーー。
太郎坊宮のことはは全く知らず、たまたま「滋賀 神社」でネット検索した時、初めに目に飛び込んできた神社でした。
今日の名古屋は春のように暖かかったですが、東近江は少し肌寒かったです。今日はPM2.5が飛んでたようで、空は普段の曇り空とはまた違った、どんよりした感じでした。
↑この太郎坊山の画像をネットで見た時、ピピッと来るものがあったのです。神社に続く道沿いには、等間隔に灯篭が並んでいます。
~太郎坊宮の歴史~ (サイトより拝借)
古代日本人は、太郎坊宮の鎮座する太郎坊山(赤神山)を神宿る霊山と信じ、崇拝しました。今なお境内に点在する巨岩石群はその名残を留めています。
当神社のご神徳は広く知られ、聖徳太子は国家の安泰と万人の幸福を祈願しました。
伝教大師も当神社にお参りし、ご神徳に感銘を受けて50余りの社殿を建立されたといいます。
このように人々の信仰が深くなるにつれ、この霊山で修業をする修験者が多く現れます。
そして、神道を基に天台山岳仏教と修験道が相交わる独特の信仰形態が確立されました。
↑本殿へ続く石段。急な階段が、740段ほどあります。途中、何度も休みながら上がりました。明日は、筋肉痛かも。
↑山の中腹にある、祈祷殿そばからの眺めです。それまでゼーハー言いながら急勾配を上がってたのが、風景が急に開けて、感激でした
↑個人的には、この巨石の夫婦岩が大変良かったです。クリック&拡大して、ご覧下さい。大きさが伝わりますように。
片側が男岩、もう片方が女岩で、その間の隙間を通れるよう整備されています。太郎坊宮サイトには、
神様のお力によって押し開かれたと伝わる大岩です。岩と岩の幅は、わずか80cmしかありません。
良い心の持ち主が、願い事を念じて岩の間を通ると願い事が叶うといいます。一方、悪い心の持ち主が通ると、岩にはさまれてしまうといわれています。
江戸時代の書物には「岩の間には天狗が住んでいて人間は通れない」と記されています。
とあるので、巨石の間を通れるようになったのは、明治時代以降でしょうか。今では歩道のように歩けるので、有り難いです。
この巨石の間を歩き、上を見上げた時。何か飛行物体からビームが照射され、このような裂け目が作られたのでは、と思いました。
私の妄想ですけど、もう少しお付き合い下さい。
巨石の間で、3人ともしばし足を止め、エネルギーを感じた時。この日本列島が形作られた頃の、かなり古い時代に、意識が飛びました。
何か理由があり、ここにこういう裂け目が作られたのでは。
そして、その時のエネルギーはまだ、この岩に残っている。感覚の鋭い古代人は、きっとこの山、巨石に宇宙的なエネルギーを感じたのでしょう。
時が下り、神道、仏教、修験道が習合しても、外国から七福神が入って来ても、優れた先達が、あちこちにある巨石に的確に神々を祀ったのでは。
っと、これらはほとんど、はな姉さんの話の受け売りですが、私も同じように感じたので
。この場所は、非常に気に入りました。また来たいです。
今日の事は、はな姉さんもブログに載せて下さってるので、←こちらもご覧下さいね。
はな姉さんはアメブロを終了したけれど、「繋がろう」という新しいブログを立ち上げています。
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