今日はトーマさんのメルマガが興味深かったので、転載します。
「陰陽師は、日本の守り人」という話から、いきなり現代日本の国防に話が飛びますが、転載したのは国防の内容です。
トーマさんの意見は、かなりユニーク&ぶっ飛んでますが。こういう考えがあると知っておくのも、良いと思います
。転載元は、こちらです。
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現在の安倍政権は、わりと長期政権になっていますが、戦後、日本の政府は、首相をコロコロ変えるのがお家芸でした。
「どうして、こんなにコロコロと、首相が交代するんでしょう?」
というような感想も、多かったみたいです。
国家がらみで、なにか非常識で非合理的だと思われることが行われる時、だいたいその奥底には、「国防」が関係していることが多いみたいです。
ある本に書いてあったのですが、日本の場合、外国からのいろいろな圧力や嫌がらせなどには、昔から正面から戦わずに、「肩すかし」のような技で、攻撃を避ける戦法を好んで使っていたそうです。
つまり、首相をコロコロ変えることにより、アメリカやロシア、中国などの大国からの攻撃を避けてきたようです。
「もうそろそろ、日本の首相を手なずけて、飼い犬にできるぞ」
というふうに大国が思ったところで、また首相を変えれば、また最初から懐柔策を考えなければならないのです。
こうやって、日本は外国からの政治的な圧力から、逃げて、逃げて、逃げまくってきたようです。
たしかに、本当に情けない部分もありますが、一部では、
「ワザと情けなくしている」
ということもあるようです。
大国と正面からぶつかるのではなく、逃げることによって、日本国民を戦争から守ってきたということです。
たとえば、私が沖縄で中学校に通っていた頃、学生服に坊主頭が校則でした。
「どうして、いまどき、学生服に坊主頭なんだろう? こんなことしても、学力が上がるわけでもないし、日本という国家はどうして、こういう理不尽なことをするんだろう?」
と思っていました。
しかし、今考えると、あれは「国防」であり、外国に対するデモンストレーション(威嚇行為)なのです。
「平和憲法の国だからといって、あんまりナメないでくださいよ。
いざとなれば、いつでも、戦前の軍国主義に戻れるんですよ。この中学生たちは、いつでも戦えるんですよ」
という視覚効果を、狙ったものだそうです。
そういえば、最近は少なくなりましたが、当時の女子学生も大半はセーラー服でしたよね。このセーラー服も、もともとは、イギリス海軍の軍服です。
あとは、ほとんの日本人が不思議に思っていると思いますが、
「どうして、中学と高校の6年間英語を習っているのに、ほとんどの人が、英語がベラベラと喋れるようにならないんだろう?」
という素朴な疑問です。
これも、昔読んだ本に、「国防」が関係していると書いてありました。
日本の国家の方針として、明治時代くらいから
「国民のほとんどが、英語がベラベラ喋れるようにならないようにしよう!」
という意図や戦略が、あったようです。
つまり、当時の世界情勢を見た場合、国民の大半が英語がしゃべるようになった国は、イギリスやアメリカにいいように植民地化されて、その後、搾取されるようになっているという現実があったからです。
だから、
「国民のほとんどが、ほどほどに英語がわかるレベルくらいにしておいて、本当に英語が必要な人材は少数だけ専門教育をして、外国との交渉に役立ってもらおう!」
こういう政策を、選んだのだそうです。
どうですか?
ほとんどの評論家は、教育の問題を、「教育」だけの視点から論じていますが、こういう問題に「国防」の視点をいれると、また新しく見えてくるものがあるのではないでしょうか?
他にも、現在の日本の経済状態です。
これも、ほとんの評論家は「経済」だけの視点から論じていますが、この問題に「国防」の視点を入れると、いろいろと見えてくるものもあります。
これも、ある本で読んだのですが、日本の国家の方針で
「あまり経済状態を、よくしないようにしよう」
という意図が、あるようなのです。
もちろん、自然に悪くなっている部分もあるし、政治家や官僚などがダメだから、悪くなっている部分もあるのですが、一部には、
「ワザと経済を悪くしよう」
という動きが、あるようなのです。これは、悪意をもってやっているわけではなく、善意からみたいです。
つまり、これだけ、世界経済が混乱して、戦争や貧乏で苦しんでいる国が多い中で、日本だけがあまりにも成功しすぎて、裕福になりすぎると、外国から、戦争やテロを吹っかけられる危険性が、高まるからなのだそうです。
「私たち、日本という国も、苦しんでいるんですよ。そんなにいい国では、ありませんよ。
戦争なんかで侵略してきても、あまり旨みはありませんよ」
こういうアピールをやる必要が、あるということです。
ちょうど、田舎の金持ちの家が、周囲の貧乏な家からの嫉妬を避けるために、わざと粗末な家に住み、子供たちにも質素な服を着せ、お小遣いも、あまり与えないようにするようなものかもしれません。
ギャングばかりの街で、金持ちが羽振りのよさそうな格好をして、
「もし襲われても、絶対にやり返しませんよ」
などと言ったら、どういうことになるか、想像してみてください。
1980年代の日本は、経済がトップクラスで、平和憲法をアピールしていましたが、こんなに危ない状況だったのですよ。
考えてみれば、日本人は、
「自分たちの国は、ダメな国だ…」
と思い込んでいますが、これは逆に、相当心に余裕がないと、できない行為です。
本当に、ダメな国などは、
「自分たちの国は、素晴らしい国だ!」と思い込もうとしていますね。
日本の場合は、このように、
「敵を欺くには、まずは味方から」
というように、国家が国民を、
「いかにも、ダメな国に住んでいるかのように思わせる」
という政策に、うまく乗せているようです。
1980年後半に、日本は世界第二位の経済大国になりました。
しかし、その後すぐに、公務員や大企業の会社員が「週休二日制」や「フレックスタイム制」を導入しています。
また、「ゆとり教育」も始まりました。
これも、
「世界第一位の経済大国なんかになったら、外国から戦争やテロを吹っかけられる。
そろそろ、日本人も、ブレーキをかけたほうがいい。これ以上がんばると危ない」
という「国防」を、目的とした政策だったようです。
特に、「JAL123便」の事件があってから、経済至上主義をやめたみたいです。
経済なんかよりも、国民の命のほうが、大事だからです。
10年くらい前に、日本の政治や経済などを影で大きく動かしている人物と会って、いろいろなお話をうかがう機会に恵まれました。
その時に、その人物から、興味深い話を聴きました。
1980年代に、日本も「国防」について、真剣に検討したことがあったそうです。
当時、戦車やミサイルなどの戦いから、「スターウォーズ計画」のようなレーザーによる、宇宙戦争の可能性が出てきた頃ですね。
金融戦争も始まりそうだったし、ウイルスなどの生物兵器、地震兵器など、いろいろな戦争の可能性も出てきました。
情報戦争の可能性から、日本にも「CIA」などの情報局を、つくろうという動きもあったようです。
アメリカやロシア、中国などは、その頃から本腰をあげて、超能力者たちを戦争に使う戦略を、考えていたようです。
「外国に負けずに、日本も、超能力部隊を自衛隊などに設置しよう!」
という動きも、あったようです。
「これからは、超能力戦争だ!」
と、意気込んでいた軍事関係者も、日本に、けっこういたそうです。
しかし、日本のトップの超能力者たちが一カ所に集められ、政府の要人と、長期間いろいろと話しあった結果、
「超能力を、戦争などのネガティブな行為に使うのは、やめよう!」
という結論になったようです。日本は、こういう決断ができるだけの道徳を、本当の国のトップたちはもっていたということです。
その代わりに、何を始めたかというと、マンガやアニメなどを使って、大人ではなく、世界中の若者や子供たちにメッセージを届けようという戦略にしたそうです。
マンガやアニメの内容や歌などに、「平和」、「勇気」、「協調」、「愛」などをいれて、若者たちの心から、変えるという方針にしたのだそうです。
「超能力」などの最先端技術ではなく、もっと強力な、「愛」を使うことに、決めたのだそうです。
その人物から、この話を聴いて、とても感動しました。(中略)
こうやって、さりげなく心理的に揺さぶりをかけるのが、日本の「国防」のやり方みたいです。
「愛による国防」
もしかしたら、これからは、世界でも、これが流行るかもしれません。
そして、その後に、「国防」など必要のない、本当に平和な地球の姿が、待っているような気がします。
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