テンプルビューティフルのメルマガより~「修験行者と祈り」
エドガー・ケイシーのグッズ販売をしている、テンプルビューティフルさんのメルマガを愛読していますが、今日届いたものは「修験行者と祈り」で、興味深かったので転載します。
私もかつて修験行者で、山で祈っていたらしいので、こういう内容が胸にジーンと響くのかも。以下、その内容です。
・‥…━━━☆・‥…
お話しをお聞かせ下さっているのは、奈良、大峰山の麓、蛇の倉七尾山で修験の修行をされた山口弘美さん。
マッサージセラピストをしながら、同時に行者でもある女性です。
これは、昨年秋、祈りと先祖供養をテーマに開催した『お話し会』の中でお話しされたものに、あらたに行ったインタビューを加え、構成しなおしたものです。
日本人は宗教がないとよく言われますよね。
でも、実はそうではなく、変な表現ですが、日本は神的な海に浸っている国。あまりに神様が身近にいすぎて、あえてそれを「宗教」としてないだけじゃないかなぁと感じています。
かなり長いインタビューですが、その中から、「修験」や「祈り」についてお聞きした部分を抜き書きして、ご紹介します。ぜひお読み下さい。
~インタビュー引用ここから~
光田:山口さんが修行に入られている蛇の倉七尾山の「修験」の世界について、そして一般には知りえない行者さんの修行や生活などについて、色々とお話を伺いたいと思います。
まず、修験道というのはどういう信仰なんでしょうか?
山口:一般には、日本古来の古神道を包括する山岳信仰に、密教や道教、儒教などが結びついた神仏習合の信仰の道であるといわれています。
ですから、ある固有の宗教のみを信じるように勧めるものではなく、どんな宗教や宗派であっても受け入れるという懐の深い世界観を持っています。
光田:蛇の倉で修行をされる行者さんというのは、どういう方々なんでしょうか?
山口:あくまで私が蛇の倉七尾山で知ったことをもとにお話ししますと、「行動を通して自分の魂を成長させようとする人たち」だと言えるでしょうか。
祈り行や水行だけではなく、食事の支度や土方作業など、ありとあらゆることを「行」にしています。
苦労をすると知りながらも自分に負荷をかけ、肉体の筋肉を鍛えるように、魂の筋肉を鍛えるわけです。山に行あり、川に行あり、海に行あり。
自然や宇宙と一体となり自分が生かされている魂を躍動させ、自分の本命、本分を全うしようとする。それが行者です。
また、一般の方々が何かの仕事をしているように、行者は神仏への祈りを仕事にしているといういわば祈りのプロでもあります。
祈りは神様にとって食事のようなもの。行者一人一人の祈りを集めて神に捧げ、聖地に鎮座していただくわけです。
とくにパワーも個性も強い神様の場合、おとなしく神社やお寺に鎮座していただくためには相当に力を持った行者の祈りが必要なんです。
蛇の倉の行者さんは、どこかで大きな災害が起きた際にはその慰霊供養をしていますし、世界平和や国家安泰、英霊諸霊供養のための祈りは毎日行っていますね。
光田:行者さんたちは1日をどのように過ごされているんですか?
山口:朝は全員で本堂の掃除をしてからお祈りをします。
基本的に夏は朝6時から、冬は7時から拝神を行いますが、行者の宿舎では夏は朝5時20分から、冬は朝6時20分から拝神と先祖供養の祈りを始めます。
ただし行者自身の「祈り行」は、全員での拝神の時間が始まる前に行うため、皆がそれぞれの時間に起きて祈ることになります。
当番制ですが、皆の朝食を作る係や、本堂のほか山頂の奥の院にいらっしゃる神様に朝3時半からお給仕をする係の行者は、もっと早くから起きて活動しているんですよ。
朝食が終わったら、男性は建物を建てたり修繕したり、山の手入れをしたりと主に肉体労働を。
いっぽう女性は宿舎の掃除、洗濯、食事作りなどを担当し、それぞれに分担して行っていますね。そうして皆が各自、仕事を通して魂を磨いています。
この行者修行をしている最中には、行場と行者の双方で金銭を授受することはありません。
行者はお行をさせていただいているぶん、お山への奉仕活動をさせていただく。そうしてただ「行」に専念するのです。
特別な期間には、昼夜を問わずに「祈り行」をしたり、護摩や加持祈祷の研修を行ったりすることもあります。
光田:山口さんが修行に入られている時には、どんな生活をされていたんですか? またどんな行をなさっていたんでしょう。
山口:主に今お伝えしたような生活をしながら、祈りの方法や呪文、法印の使い方などを学んでいました。私個人の行としては病人の介護を自分に課していましたね。
すべての用事が終わる夜10時に加持を行った後に就寝。
夜中1時に起きてまた加持を行い、3時半から、朝の拝神が始まるまでの間に般若心経300巻をあげていました。
こうした個人で行う行の内容や期間などは自分で決めています。
光田:各地にいらっしゃる行者さんたちは、横のネットワークを持っていますか。お互いに山を行き来して情報交換をすることもあるんでしょうか?
山口:それこそ昔の人は野生の勘も霊感も優れていたので、『何月何日にここで会おう』とか、『この日時に護摩を焚いてほしい』とか、すべて霊感によって通信をしていたそうです。
それで蛇の倉が開かれたときには、誰も知らない山中の僻地にあるにも関わらず、どこからともなく霊力の高い霊感者が集まってきたといわれています。
今でも力のある行者同士は、実際に会ったり電話をしたりしなくても、霊感でコミュニケートしていますよ。(略)
光田:そもそも「祈り」はなぜ必要なんでしょうか?
山口:私が山で教わったのは、「祈り」は万物万象の霊長であり、自然界の調整役を受け持っている人間の大切な役目であるということ。
地球のみならず、宇宙の環境を整えるためにも重要であるということです。
というのも、人間の体に沢山含まれている水分が祈りの言霊の響き=波動によって良い状態に整えられ、それによって周囲にもその波動が伝わっていきますから。
まず一人が祈り、やがて100人、1000人……と連鎖していくと、その方々のいる場所は空気が綺麗になっていくんですね。
そして木々や水、大気、土など全てが影響を及ぼし合って、みんな綺麗になっていくんですよ。
昔は女性の33歳の厄年、男性41歳の厄年までに35万巻のお祈りをするというのが、万物霊長の役割であり約束事だったそうです。
人間は『いただきます』と言って食事をいただきますが、それはいろいろな生き物の命をいただいているということ。
その命に対する感謝とともに、万物万象の育みとなる祈りを捧げて、自然にお返しをしていくんですね。
光田:行者さんの場合には、祈りの意味合いが一般とは少し違うような気がします。
以前、山口さんが『行者は1万巻、2万巻の祈りを自分に溜めて、それを法力に変えて人を癒したり霊を祓ったりする』と仰っていましたよね。
祈りを人のために使うとはどういうことですか?
山口:行者は法印を切り、呪文を唱えることで様々な御祈願を成就に導くような修行をしています。
それには魂の力や念力を強くすることが必要なのですが、そういった力を強くするのが「祈り」なのです。
ですから行者は修行中、いかに祈りをあげられるかということに日夜、専念しています。
というのは、祈りが自分の魂に織り込まれていないと、何万巻の経文を唱えたとしても、その祈りは神仏に届く前にほとんどが自分の中に吸収されてしまいます。
蛇の倉では通常、般若心経を祈りの経文として唱えていますが、たとえば7巻のうち1巻だけが神様のところにようやく届き、残りは自分の細胞に入ってしまう。
そうイメージしていただけると分かりやすいでしょうか。
誰か病人の方のために『1万巻の般若心経をあげるので、その祈りの力で病人を助けて下さい』と神仏に祈ることがありますが、その場合にも、まずは自分の細胞の中に十分な祈りの力を貯金しておくことが必要なんです。
そうしてその1万巻の祈りを神仏に受け取っていただく代わりに、病人を助けていただく、ということをするわけです。
ですから、祈れば祈るほど、祈りの回数を重ねれば重ねるほど祈りの力は自分の中に溜まり、神仏を動かす念力となります。
それが自分の細胞の隅々にまで届いたときに初めて、ようやくその祈りによって強くなった念力や法力を人のために使えるようになるんですね。
誰かのための御祈願や滝行、護摩焚き、これらはすべて、念力が強くないと出来ません。
たとえ知識として九字の切り方を知っていたとしても、ただ経文を口に出すだけ、印を結んだだけでは現実に影響を及ぼすほどの力を発揮することは不可能です。
霊を鎮めたり、災いや邪気から身を守ったりするにもそれなりの念力が必要です。行者はその念力を高めるために、何万巻も祈りをしていくわけです。
~以上、引用おわり~
インタビュー全文はこちらをお読み下さい。
http://caycegoods.com/interview20_01
↑お時間ある方は、是非こちらも。
今日から春の彼岸ですが、先祖供養の話はなるほどそうかもしれないと思わせるものがあり、お勧めです。
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