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2018年1月 8日 (月)

長崎・軍艦島への旅②

今回の旅行の直前に、

「今から20年くらい前に、ドラマで軍艦島が出たのを見たことがある。話の内容は覚えてないけど、軍艦島ってどこなんだ?と、印象深かったのを覚えてる」

と、だんなさんから初めて聞きました。

私は軍艦島のことをほとんど知らず、事前に調べることもなく、いきなり島をドーンと見たわけですが、それもまた良かったです。

軍艦島は勝手に上陸することはできず、一般人が見るには、民間業者のクルーズを利用します。事前にネット予約し、当日に料金を支払いました。

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↑私達が乗った船。この日、乗船したのは200人くらいでした。

「ブラックダイヤモンド」って何だろうと思いましたが、かつて日本で石炭が盛んに掘られてた頃、石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれてたそう。そこから来てたのね。

軍艦島は、今は廃墟となった建物群が軍艦のように見えるのでそう呼ばれてますが、正式名は端島(はしま)だそう。

明治時代から昭和40年代まで、海底の石炭を三菱が掘る島だったそうです。

長崎の海からは、船に乗って40分くらいで到着です。

船内ではガイドさんの説明を聞きますが、出航してすぐの海沿いには三菱の巨大な造船所があり、その説明もいろいろ聞きました。

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↑これは午後にグラバー園に行き、そこから撮った様子。この真ん中の海を、左へ渡っていきました。

拡大するとわかりますが、写真中央に写っているのは2隻のイージス艦。そばで見ると、大きくて立派でした。

ここで新しいのを建造もするし、修繕もするそう。平和的に利用して欲しいものです。

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↑波に揺られ、ウトウトしかけたところで、軍艦島が見えてきました。

だんなさんが見たドラマは、特別許可を得て島内で撮影されたようだけど、今は建物の多くが崩れ、ガイドさんと歩けるのは舗装されたわずかな道のみです。

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島にあった案内図。

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私達が歩けるのは、↑向かって左側の、島の外側の通路のごく一部です。

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奥のコンクリート住居跡は、石炭を掘る人達とその家族が住んでいたところ。がれきも散乱しています。

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私達が訪れた日は、海はとても穏やかだったけど。台風の時は、大変な高波が襲うそうです。

建物のガラスは長く残ったようだけど、今は1枚も残ってなかったです。

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↑子供達のプール。かつてあったプールは台風で壊れ、新たに作られたもの。プール底の白線が残っていますね。

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↑文字を入れましたが、海底から掘った石炭を載せて運ぶベルトコンベアはかなり大きかったです。

休むことなく動いていたそうで、音も大きかったでしょうね。

海底には380mほどエレベーターで降り、石炭を掘ったそうだけど、いつも気温は30度で湿度は90%ほど、かなり過去な労働環境だったそう。

時には、掘っている最中にガス爆発などの事故があり、亡くなった方も少なくなかったとのこと。

危険と隣り合わせだけど、お給料は良かったそうです。

島には床屋や雑貨屋などもあったけど、そういう商売する人はかなり儲けることができ、あとで長崎に家を建てた人もいたそう。

石炭を掘っても、良質な石炭は3割くらい。残りの7割は島の周りに埋め立てられ、島は面積を広げたそうです。

昭和40年代に政府がエネルギー転換をして、各地(北海道や福岡)の炭鉱は赤字となり、やがて閉山しますが、端島は唯一、黒字だったそう。

ここも閉鎖が決まると、従業員は再就職先を世話してもらい、引っ越し費用も全て会社が持ってくれたそうです。

他にもいろいろ聞きましたが、地元ガイドの話は味わい深くてGoodでした。

軍艦島を見学するクルーズは、この先はそう長く続かない気がするので、行くことができて良かったです

 

 

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