長崎・軍艦島への旅③
軍艦島から帰ると、長崎中華街へランチしに行きました。小雨模様だったので、写真は撮らなかったです。
長崎中華街は、長崎ちゃんぽんを出す中華料理のお店がほとんどでした。
入口すぐのところに、立派な外観でお客さんの多いお店がいくつかありましたが、私達は適当にお店を見つけ、入りました。
今は人気のお店って、ネットですぐにわかりますね。
それはとても便利だけど、中華街のように似た店がたくさんある所では、流行る店とそうでない店の差が、いっそう開いてる気がします。
私達の入ったお店は普通に美味しかったけど、お客さんの入りが少なかったみたい。これから、繁盛しますように。
その後は、大浦天主堂に行きました。29年前、中のステンドグラスに感動し、もっと見たいと強く思ったのですが。
29年ぶりに見たら・・ あれ?あまり、感動しないね、私?特に何の感情もわかない自分に、拍子抜けしました。
屋根は改修工事中、中は撮影禁止のため、写真は外に安置されているマリア像だけです。
天主堂の中では、「信徒発見」エピソードが繰り返しアナウンスされていました。私は初めて知り、思わず胸が熱くなり、感動しました。
入場券を買った際、頂いたパンフレットに載っていたカトリック長崎大司教の挨拶文がわかりやすかったので、入力します。ちょこっとお付き合い下さい。
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2015年、大浦天主堂は創建150年を迎えました。美しい異国風の建物は、歴史文化都市・長崎のシンボルとしてわたしたちを魅了してくれます。
一方で、その歩みは、「こころの自由」を獲得する苦難の連続でした。
日本と西洋の最初の出会いは、コロンブスらが活躍した大航海時代に始まりました。
ポルトガル人宣教師が伝えたキリスト教は各地に広まりましたが、やがて禁教と鎖国で、西洋との交流は長崎の出島に絞られました。
2度目は幕末の出会いです。産業革命によって欧米は交易を求めて世界に進出します。
日本も黒船の来航で安政の開国が実現すると、長崎には外国人商人や討幕派の志士たちが集います。
大浦天主堂は、こうした混沌とした幕末に、安政の条約に従って、おもにフランス人のための教会として誕生しました。
ところが、長崎県には禁教令化、秘かに信仰を守ったキリシタンが多く、この天主堂を舞台に世界宗教上の奇跡「信徒発見」がなされます。
しかし、明治時代を迎えても禁教は続き、浦上四番崩れなどの大迫害が起こります。
これに対する西欧諸国の非難でキリスト教は1873年(明治6年)に黙認されますが、その後も軍国主義による抑圧、そして被爆と苦境は続きました。
さあ、美しい教会に秘められたそのドラマを旅してみましょう。
あり余る自由に満たされた現代のわたしたちにとって、自由の意味と意義を考える機会になることでしょう。
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このパンフレット、29年前にも頂いた気がするけど、全く読まなかったような・・(-_-;)。
当時は、文章ばかりの白黒印刷だったと思うけど、今はカラー写真がふんだんに使われ、漫画も少し載ってました。
戦国時代にザビエルがキリスト教を伝え、1978年にヨハネ・パウロ二世が長崎を訪問するまでの歴史も、わかりやすく書かれていますが。
二十歳の頃にこれを読んでも、あまり印象に残らなかったかも。
軍艦島に向かう途中、ガイドさんが離れた島を指し、
「かつてあの島には、キリシタンが潜伏していました」とか、別の島の説明では
「今は島民のほとんどが、キリスト教を信仰しています」というのを聞き、感じ入るものがありました。
が、これも二十歳の頃だったら、聞き流していたんじゃないかな。「信徒発見」も、当時は響かなかったかも。
50歳近くになり、経験を積んで、いろんなことが深く感じられるのでしょう。
もしくは、かつて私も隠れキリシタンとして生きた人生があったのかもねと、チラッと思いました。
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