長崎・軍艦島への旅④
最終日は、路面電車に乗って諏訪神社へ行きました。諏訪神社の秋の大祭、長崎くんちの行なわれる神社です。
↑神社そばの交差点で。道路標識の裏は、長崎くんちの大きな写真でした。この日は朝から快晴で、寒かったけど日光は温かかったです。
この日はまだ、初詣らしい方達が多く訪れていました。
今年の正月は、1~3日とも地元の神社に、4日は稲佐山のふもとにある淵神社、6日は諏訪神社と松森天満宮、7日は名古屋の熱田神宮と、ほぼ毎日お参りしてました・・
淵神社は、夕暮れ迫る時間に行ったら、提灯の明かりが灯り、良い雰囲気でした。優しい、柔らかい感じがしましたが、ご祭神は女神様でした。
それに対して諏訪神社は、すがすがしい男神のエネルギー。街のみなさんから慕われているのを感じました。
↑本殿前から下を見た様子。この広場で、長崎くんちが行われます。
前日にグラバー園にある長崎伝統芸能館に行き、祭りの様子を映像で見たら、その迫力がすごく良い感じ。
日本のお祭りなのだけど、男衆の着物の様子や、踊りを奉納する女性たちの髪形が、なんとなく異国風。
山車は舟の形で、日本の船もあれば、中国の舟、オランダ船もあり、いろんなものを受け入れてきた長崎の懐の深さを感じ、なんとも心地良かったです。
諏訪神社で参拝を済ませ、階段を下ると、何番目かの鳥居のところで道が交差しており、松森天満宮の案内がありました。
時間があったので、そちらも行くことにして歩き始めると、歩道に石碑のようなものがありました。
なんとなく見ると、男の人の顔が彫られており、説明文を読むと・・ 思わず見入りました。
最近の歴史の教科書には、このラナルド・マクドナルドのことが載ってるのかしら。
私は全く知らず、この時初めて知りましたが、せっかくなので石碑に刻まれた文をそのまま打ち込みますね。
ラナルド・マクドナルド(1824-1894)について
ラナルド・マクドナルドは、1824年アメリカ・オレゴン州アストリア市で、スコットランド人を父、チヌーク族の首長の娘を母として生まれた。
早くから日本に憧憬の念をいだき、24才の時、捕鯨船員として日本近海に至り、北海道・利尻島に上陸した。
ただちに密入国者として長崎に連行され拘禁されたが、彼の誠実な人柄と高い教養を認められ、長崎奉行の肝入りで西山郷に英語教室を開いている。
期間は半年ほどであったが、森山栄之助を含む14人の日本人に英会話を教え、我が国の対外交渉に大きな貢献をした。
また帰国後、アメリカ議会に「日本社会は法治国家であり、日本人は礼儀正しく民度も高い」といった、彼の陳述書が提出された。
と、ありました。この石碑は、割と最近に作られたようです。
スコットランド人の父、アメリカ先住民の母から生まれた人が、日本に行きたいと思って密入国までしてやって来てたとは。
こういう人がいたのを知り、感慨深かったです。
初日の出島や前日のグラバー園でも、いろんな人やその活躍ぶりが紹介され、それらを読むと幕末から明治の激動の時代に意識が飛び、胸がジーンとすることが多かったです。
それらを書き出したら、歴史の教科書みたいになると思い、我慢しました・・今回の旅ブログ自体がもう、教科書チックなので
。
私は昭和アナログな人なので、旅の最中、何度も「長崎は今日も雨だった」が頭の中で流れてました。
昭和の建物が多く残っていたので、思い出したのかも。
長崎は遠いと思う方が多いと思いますが、機会があれば是非。
様々な歴史が空間に折り重なる様子は、普段の日常とまるで違い、感じ入ることが多いことでしょう。
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